住所:愛知県岡崎市針崎町朱印地3番地
三河における最初の真宗道場として鎌倉時代の正嘉2年(1258年)、信願房了海により創建された。
三河三ヵ寺の一つとして一向一揆を主導し、家康との激しい戦いの末に大伽藍が兵火により焼失する等の被害を受けた(1564年)。
一揆に敗北し、当寺は国外追放となり、住職は信州に逃れた後、天正13年(1585年)に還住が認められた。本堂は元和元年(1615年)、杮葺きで再建。
現在の本堂は1734年(享保19年)に瓦葺で再々建されたもの。