上宮寺(じょうぐうじ)

住所:愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木34


 推古天皇6年(598)、聖徳太子が全国行啓で当地に立ち寄った際に見つけた霊樹で自らの像を作り、当寺を興隆し仏法弘通の地としたのが起源。

 永禄5年(1562)家康の家臣が当寺に押し入り、強引に兵糧を徴収したことを狼藉と解釈した三河諸寺が立ち上がり、三河一向一揆が始まった。

 一揆は一年半に及び、最後は疲弊した寺方が敗れ、寺院は破却、坊主衆は国外へ追放となり、三河には本願寺系の寺・道場が失われることになった。

天正13(1585)、徳川家康の乳母妙春尼(みょうしゅんに)の尽力によってようやく寺院の復興が許された。

 本堂は昭和63(1988)に全焼し、平成8(1996)に銅板屋根で再建された。



本堂

 一向一揆は最後には家康と和議を結んだが実質的には敗北で、寺院は破却処分となり、以後本願寺系寺院は禁教とされた。

 約20年後の天正11(1583)、家康がようやく赦免したのは松月院妙春尼の尽力によるものだった。彼女は家康の母於大の妹であり家康の乳母も勤めた女性であり、家康に強い影響力を持っていた。

 当寺では遺髪をもって墓として功績を後世に伝えている。


松月院釋尼妙春の墓

   
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