住所:愛知県豊川市牛久保町城跡
この地にあった牛久保城は亨禄2年(1529)一色城主牧野成勝が今橋城主(後の吉田城主)の信成の命を受け築城したと言われる。
この城は扇状台地の端につくられた平城で、南は遠く下郷の地を一望でき、北には二重の堀をめぐらせた城だった。城を取り囲むように武家の屋敷が配置され、その北に町人の家が通りに面して連なり、さらに周辺に寺院があって外敵に備えていた。
城に向かって真っすぐに入る道はなく、全ての道が曲尺手(かねんて)になっていて近世の城下町の先駆けをなすものだったようである。
桶狭間の戦いで主君の今川義元を失いながら故郷に留まった家康公がその去就を明らかにしないまま永禄4年(1561年)に今川氏の拠点である牛久保城に奇襲をかけた。この時、城は攻略できなかったが、自立を目指していることを表明することになった。
後に牛久保は天領となり元禄十三年(1700年)廃城になった。
今は昔の面影は無く、JR牛久保駅周辺にある「城跡」「大手」「城下」等の地名が僅かに昔を偲ばせている。
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