田原城跡(たはらじょうせき)

住所:愛知県田原市田原町巴江11-1


 田原城は文明121480)年頃に戸田宗光によって築かれ、同氏の三河湾支配の拠点となった城。まわりを海に囲まれた堅牢な城としても知られている。

城主戸田康光が松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(のちの徳川家康)の護送の任を受けたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元の怒りを買い、攻められて落城した。

その後、一時期池田輝政の支配となったこともあり、この時期に城と城下の整備が進んだとされる。

現在本丸は巴江神社になっている。また二の丸跡には復元櫓が模擬再建され、歴史博物館となっており、国の重要文化財など貴重な品を展示されている。田原藩家老であり、画家、蘭学者としても名を馳せた渡辺崋山の関係資料も多く展示している。


 


門の脇の城壁には鉄砲や弓矢で敵を狙い撃ちするための「狭間(はざま)」がある


 

 文化12年(1815年)625日に、三宅氏12代にあたる三宅康和が、児島高徳を江戸麹町の本邸に創祀したことに始まるとされる。そして、その初代となる三宅康貞は当地に改葬されている。その後、三宅康和は田原城主となり、城中に二の丸社を建立、これが後の巴江神社となった。


   
このページのトップに戻る