住所:岡崎市康生町561-1 岡崎公園内
岡崎城は15世紀中頃に西郷頼嗣(よりつぐ)によって築城されたのがはじまりである。その後、亨禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の地に移築し、岡崎城と称されるようになった。家康は天文11年(1542)にこの城内で誕生し、織田信秀や今川義元の人質となり少年期を他国で過ごしたが永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことを契機に19歳で自立し、ここ岡崎城を拠点に天下統一の偉業への基礎を固めた。
現在の大手門は1993年に再建されたもの。 当時の岡崎城の敷地は現在の岡崎公園より大幅に広かったため、大手門は1号線を越えて200mほど離れた位置にあったとのこと。
本丸の北側にある空堀。現在は下の方が埋まっているがV字型で当時の深さは約10mもあったとのこと。呼び名は岡崎城を築城した西郷頼嗣の後の法名「清海」に由来するとされる。
天文11年(1542)に家康が城内で生まれた際に産湯を汲んだと伝わる井戸。
産湯は松平家発祥の地である松平郷(豊田市東部)からも運ばれたとされ、松平東照宮にも産湯の井戸が残っている。
岡崎城には色々な石垣が見られる。
写真の左半分は自然石をそのまま使った「野面積み」で石垣としては初歩的な積み方。
右半分は石を割って形を整えて使う「割石積み」で野面よりは時代が新しい。
初期の家康の家紋 家康が徳川を名乗り始めた初期の家紋は三つ葉葵ではなくシンプルなスペード模様だったとのこと
岡崎城は江戸時代には長きに渡って本田家が城主を勤めたため本田家の家紋も見られる
公園内の二ノ丸と本丸の中間にある八千代の「菜飯田楽」
この地方では古く江戸時代から八丁味噌を使った菜飯田楽が名物だったと伝わる。