⑩駿府城跡・・静岡県静岡市葵区駿府城公園1−1
駿河国を領国の一つとした家康は、天正13年(1585)から居城として駿府城の築城を始め、天正17年(1589)に完成させた(現在の二ノ丸以内の部分)。しかし家康は翌年関白豊臣秀吉の命によって関東に国替えされ、豊臣系の家臣中村一氏(かずうじ)が城主となった。豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、慶長8年(1603)征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いた。
慶長10年(1605)将軍職を2代秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきた。天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取りかかり、現在の静岡市の市街地の原型が造られた。
そして家康自らは、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は江戸を凌しのぐ政治・経済・文化の中心としてその黄金時代を迎えた。
|