箱根宿(第10番)  ~ 小田原宿(第9番)

2019.3.6 9:05

足ノ湖畔
 (箱根駅伝折返し地点)

本日のスタート地点
 


①本陣跡
 ・・神奈川県足柄下郡箱根町箱根161-1

天野平左衛門が務めた本陣の跡。箱根宿にはここを含めて6軒の本陣があった。


②箱根関所跡 ・・神奈川県足柄下郡箱根町箱根1番地
元和5年(1619)箱根山中に設けられた関所。東海道の中で箱根宿の東の入口にあたり、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して山腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口、京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合う形になっていた。小田原城主が預かって警備し、番頭、横目付各1人、定番3人、足軽11人、中間2人等がいて通行人の取調べを行い、特に「入鉄砲と出女」は厳重に監視した。
 


箱根の杉並木 ・・神奈川県足柄下郡箱根町箱根

元和4年(1618)に箱根宿が造られた頃、旅人に木陰を与えようと道の両側に植えられたもの。現在は国指定史跡として保護され、芦ノ湖周辺の4つの場所に分かれ、約420本が残されている。


④葭原久保一里塚跡
 ・・ 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根

江戸日本橋から24里、京三条大橋から100里目の一里塚


⑤身代わり地蔵
 ・・神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
宇治川の先陣争いで名高い梶原景季が箱根を通りかかった際に何者かに襲われたが幸いにもかたわらにあった地蔵が身代わりになって命が助かった。それ以来この地蔵を身代わり地蔵と呼ぶようになったとのこと。


箱根路東坂(箱根峠以東)
東海道の最大の難所は小田原から箱根を経て三島に至る箱根八里の区間であり、箱根旧街道と呼ばれる。標高846mの箱根峠を越えるため勾配の急な坂道が続き、各坂の最大勾配は平均20%、最大40%と大変な急坂であった。道の地質は粘土質の関東ローム層であり、雨が降るとぬかるみ、滑りやすい道であったが、延宝8年(1680)頃に石畳に改修された。
年月を経て崩壊し、新たに改修された部分も多いが江戸時代の石畳がそのまま残る区間もある。
権現坂・天ケ石坂・白水坂・於玉坂・追込坂・猿滑坂・樫ノ木坂・西海子坂・木澤坂・割石坂・女転ばし坂・葛原坂・観音坂等の名がつく坂がある。
 
←江戸時代のまま
  残っている石畳
   
←石畳の構造
小石を突き固めた地盤の上に石と石を組合せて石畳を構成し、横には縦の排水路を持っている。


⑥二子山
駒ケ岳、神山、台ケ岳等と共に中央火口丘の一つで、箱根の火山活動のうち、一番最後に出来た山。
頂上付近にはハコネコメツツジと呼ばれる富士火山帯特有のツツジを始め、多くの植物が成育しており、自然保護のため入山が禁止されている。


⑦甘酒茶屋
 ・・神奈川県足柄下郡箱根町畑宿二子山395-28
当時の旅人は普通1日に10里を旅するが、箱根地域は道が大変厳しいため8里しか歩けなかった。
道中には甘酒をふるまう茶屋が設けられるようになり箱根地域には9ヶ所の甘酒茶屋があった。現在ではこの1軒が残るのみとなった。


⑧畑宿一里塚
 ・・ 神奈川県足柄下郡箱根町畑宿

江戸日本橋から23里、京三条大橋から101里目の一里塚


⑨畑宿本陣跡
  ・・神奈川県箱根町畑宿

畑宿(間の宿)の本陣で茗荇屋と呼ばれた旧名主の屋敷跡。


⑩接待茶屋跡

箱根山中を旅する旅人たちに粥や湯茶、馬には飼葉を無料で提供していた接待茶屋。箱根八里の道中にはここ割石坂付近と西坂の山中一里塚のそばに置かれていた。


⑪馬の飲み水桶
  ・・神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋

江戸時代このあたりは馬立場といって馬子が一休みした場所。この桶には山から引いた水が満々とたたえられ、街道を往来する馬の飲み水になっていた。


⑫湯本茶屋一里塚跡
  ・・神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋

江戸日本橋から22里、京三条大橋から102里目の一里塚


 ⑬正眼寺 ・・神奈川県足柄下郡箱根町湯本562
臨済宗正眼寺は鎌倉時代に箱根の旅路の安全を祈った地蔵信仰から創建されたと伝わる。日本三大仇討ちのひとつ、曽我兄弟はここ正眼寺に祈願をして仇討ちに向い、見事成就したと伝えられ、境内には「曽我兄弟の槍突き石」や本堂裏山には曽我兄弟を供養する「曽我堂」が置かれている。
     


⑭早雲寺 ・・神奈川県足柄下郡箱根町箱根湯本405
臨済宗大徳寺派の古刹早雲時。大永元年(1521)北条早雲の息子氏綱により創建された。小田原北条家の菩提所として栄えたが、天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際に焼失。現在の伽藍は江戸時代に再建されたもの。境内墓地には北条五代の墓所があり、寺宝として北条五代画像をはじめ戦国時代・江戸時代の文化をしのぶ多くの文物が伝えられる。


⑮駒ノ爪橋跡
  ・・神奈川県足柄下郡箱根町湯本
源頼朝が富士の巻き狩りから帰る際、この橋まで来ると馬が暴れてしまい、橋の上に馬のひづめの跡が残ったという。
以後ここを通る旅人は「石に足跡をつけた頼朝の馬の頑健な足にあやかりたい」と道中足が痛まないようこの橋で祈願したと伝わる。


⑯風祭一里塚跡
  ・・神奈川県小田原市風祭

江戸日本橋から21里、京三条大橋から103里目の一里塚
小田原道祖神が一緒に祀られる。


⑰箱根登山電車風祭駅入口
   ・・神奈川県小田原市風祭

本日のゴール
2019.3.6 16:55



   
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