⑧泉岳寺 ・・東京都港区高輪二丁目11-1
泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した曹洞宗の寺院であるが、一般的には赤穂義士のお墓があることで有名。
元禄14年(1701) 3月14日、江戸城中で旗本・吉良義央に切りつけ、即日切腹処分となった播磨赤藩の藩主・浅野長矩(内匠頭)と、翌年12月14日に江戸本所の吉良邸に押し入って主君の仇を討った47人の赤穂義士の墓塔がある。一般に「四十七士」と言われる赤穂浪士であるが、泉岳寺には討ち入り前に自害した萱野重実(三平)の供養塔を含めて48基の墓がある。その内、その萱野重実と遺骸を遺族が引き取った間光風(新六)、そして討入りに参加した浪士の中で唯一人切腹をまぬがれた寺坂信行(吉左衛門)の墓塔は遺骸の埋葬を伴わない供養塔である。 義士たちの墓は討ち入り後の預け先によってそれぞれ分けて並べられている。
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