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朝鮮人街道(分岐点)・・滋賀県野洲市小篠原
織田信長は永禄11年(1568)の上洛以降、岐阜~京都間の往来で、佐和山や山崎山、安土、永原などを経由するルートを使っていた。
これは従来の主街道中山道とは異なり、織田家の南近江における主要な拠点を経由する軍用の道として信長によって整備されたものと考えられる。
1600年の関ヶ原合戦で勝利した徳川家康は京への凱旋にこの下街道を通り、江戸に幕府を開いた後には家康・秀忠・家光三代の上洛用の道として使われ、沿道には伊庭・永原の御茶屋御殿も築かれた。
四代家綱以降は将軍の上洛も途絶えたが、引き続き朝鮮通信使の通行に利用されたため、「朝鮮人街道」という名で現在に伝わる。
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