今までの俳句
平成21年度

季節によせて   vol.43   平成22年3月27日
星ひとつ紛れてゐたり糸桜    晶
 山の北なだれに持統天皇お手植えと伝えられる枝垂桜がある。三方を山に囲まれているため、樹全体が自ずと唯一開けた北へ傾き根を張っている。どこまでが幹でどこからが枝かと思わせる太い枝は何本もの丸太で支えられ、土地の人によって守り継がれてきたことがわかる。今年も見事に花をつけた一本の桜がほんのひととき静かな山里を活気付かせてくれている。


季節によせて   vol.42   平成22年3月20日
波よりも光にまぎれ残る鴨    晶
 例年にない速さで春がやって来たらしく、庭の草木が一気に芽吹き、やってくる鳥の顔ぶれが変わったようだ。近くのダム湖でも鴨やカイツブリがいつの間にか姿を消し、川鵜が日光浴でもするかのように翼をひろげている。水面へ枝垂れた桜は蕾が膨らみ柔らかい影が揺らめく。がらんとしてもう何もいないと思っていたダム湖だったが、きらきらと輝く波間にまぎれるように番(つがい)の鴨が残っていた。


季節によせて   vol.41   平成22年3月13日
春寒や殻に残りし貝柱    晶
 貝が美味しい季節になった。以前、台湾の人に貝から貝柱をきれいに剥がす方法を教えてもらった。貝柱のあたりを貝の外から箸でコチョコチョとこするというのだ。半信半疑ながら試してみたら、思いのほかうまく剥がれるような気がした。そんなはずは無いとも思うが、まあ深くは考えず信用しておくことにした。
 実がいっぱいに詰まった浅蜊と少しばかりの日本酒で・・・楽しみな季節である。


季節によせて   vol.40   平成22年3月6日
とりどりの蕾がほどの雛あられ    晶
 母一人では出すのも大変だろうと、松の内からお雛様を飾って帰ってきた。初めは、「お雛さんが寒いよ。」と、気の早い娘に呆れ顔だった母も、日ごと春めく日差しに友達を招いてはおしゃべりしたりお茶を楽しんだりしていたようである。近頃は旧のお雛祭まではしまわないと言っていたのだが、年頃の娘を持つ妹に四日の昼には丁重に納められたようだった。


季節によせて   vol.39   平成22年2月27日
落ちてくるだけの重さの牡丹雪    晶
 三十数年前のこと、従兄の結婚式で当時流行っていたイルカの「なごり雪」を歌った。今から思えばどうしてわざわざ別れの歌を選んだのか自分でも不思議だが、「去年より君はきれいになった」というフレーズに旅立つ人へのはなむけにも似た思いを感じたからかもしれない。花びらが舞うように降る春の雪は切なくもどこか華やかだ。


季節によせて   vol.38   平成22年2月20日
薄氷をのせてたゆたひそめし水    晶
 母のお気に入りの睡蓮を株分けしてもらってかれこれ10年になるが、何が気に入らないのか一度も咲いてくれない。何度か植え替えもしたが葉っぱが少し出るだけで蕾さえ見せない。直径50センチほどの鉢の水は冷え込む朝には凍ることもあるが、鳥たちにはかっこうの水場のようで、先日も、二羽のヒヨドリが代わる代わるにまだ何のきざしもない睡蓮を踏み台に水浴びをしていた。


季節によせて   vol.37   平成22年2月13日
樋の水の捩れて落つる寒戻り    晶
 今年一番という冷え込みがあった朝のこと。マーガレットの根元あたりに氷のようなものが光っていた。霜柱状なのだが地面からではなく折れた茎から噴出している。裂け目から水分が染み出して凍ったものと思われるが、自然の厳しい一面を見た思いがした。立春が過ぎ、時にコートがいらないような日もあるが、冬将軍は一筋縄ではいかない頑固者。本格的な春が来るまで今しばらくこの寒さと付き合おう。


季節によせて   vol.36   平成22年2月6日
おもひおもひにふくらみて未開紅    晶
 日差しに誘われて近所の天満宮へ梅を見に出かけたところ、境内は一目で受験生とわかる参拝者で賑わっていた。何人かの友達と来ていた女の子たちが背伸びして高いところや日の当るところに絵馬を結わえているのがなんとも微笑ましい。梅園には一本だけ満開の紅梅があったが、大方の木はまだ少し硬そうな蕾で春を待っている様子だった。


季節によせて   vol.35   平成22年1月30日
涸るることなき井戸を継ぎ寒造り    晶
 私の周りには辛党が多く、集まれば各地の美味しいお酒に出会える。そんな地酒を育んでいる美味しい水と米の話や蔵元の話などを聞きながらの一献は更に味わい深く、知らぬ間に盃がすすんでいる。しかし、一方で先祖からの井戸を守り、昔ながらの酒造りを営むのはなかなか大変なようで、当地でも有名な蔵元が廃業されたと聞いた。蔵開きにお邪魔したとき見せていただいたあの大きな深い井戸はどうされただろうか。


季節によせて   vol.34   平成22年1月23日
込み合つてゐてぶつからず浮寝鳥    晶
 普段はあまり気にとめずにいるが、向き合って話をする時、お互いに一定の距離を保っているように思う。恋人同士なら息がかかる距離でもよいかもしれないが、普通は、どんなに親しくてもよほどの事がない限り、相手が一膝乗り出せば、その分、こちらが下がるなど、互いの距離を保とうとする傾向にあるようだ。留学生を指導している人が、ぐんぐん迫ってくる学生についに教壇から足を踏み外したという話も聞く。立ち位置や間の取り方にも国民性が垣間見えるようだ。昼間は浮寝を決め込んでいる水鳥たちもぶつからないでいるところをみると暗黙のルールがあるのかもしれない。


季節によせて   vol.33   平成22年1月16日
突きたりて手毬を胸に抱き留むる    晶
 良寛様はよほど手毬がお好きだったようで、「この里に手毬つきつつ子供らと 遊ぶこの日は暮れずともよし 」 「かすみたつ長き春日を子供らと手毬つきつつ今日も暮らしつ 」 など、手毬を突きながら子ども達と楽しく遊ぶ歌が数多く残っている。糸でかがった手毬はゴムのボールほどには弾まない。良寛様は子供たちの目の高さになるようお腰をかがめて睦まじく遊ばれたにちがいない。手をそれた手毬を追いかけ子どものようにはしゃいでいる良寛さんが目に浮かぶ。


季節によせて   vol.32   平成22年1月9日
命あるごとくに鏡餅に罅    晶
 お正月の神様は人に年玉という年齢と一年の良運を授けてくれる。その神様にお供えするのが鏡餅だ。円く円満な魂をかたどったとも日月を意味するとも言われる大小の餅を重ねその上に橙を載せ飾るわけだが、ある年の正月、きちんと飾ったはずなのに朝、橙が畳に転がっていた。あまりの罅(ひび)にすわりが悪くなったのだろう。以来、うちのお鏡さんと橙はこっそり楊枝で繋がっている。


季節によせて   vol.31   平成22年1月5日
折鶴の千のはばたき年迎ふ    晶
 一枚の紙で何羽もの蓮鶴を生み出す見事な折紙細工がある。手先が不器用な私などは一羽ずつ折ってさえ、みな違った表情の鶴になるのだからとうてい無理な話だ。千羽が一糸乱れずというには程遠いが、健康と幸せを願って不揃いでも一羽ずつ心を込めて折ろう。「折る」と「祈る」という文字は文字の形ばかりか、その姿さえどことなく似てはいないだろうか。


季節によせて   vol.30   平成21年12月25日
地球てふ大観覧車除夜の鐘    晶
 今年も節目の時期がやって来た。過去を振り返るのが好きなほうではないがそれでも「今年はあんなことがあった・・」「来年は・・」といろいろ考える時期である。
歳を重ねるにつれて想いも変わってくるもので最近は一年間健康で過ごせたことが大変有難いと感じるようになった。
 それぞれの人がそれぞれの想いを胸に除夜の鐘を聞きながらまた新たな一周を迎える終着のない観覧車である。新たな年も明るい一周になることを祈りたい。


季節によせて   vol.29   平成21年12月19日
初雪のこの世のものに触れて消え    晶
 夜明け前に降りだしたのだろう、目が覚めると屋根も芝生もうっすらと白くなっていた。待ちに待った初雪だ。日差しを遮る重たそうな雲さえ、雪を送り出してくれると思うと今日は好ましくわくわくしてくる。何千キロという高さを旅してくる雪に「ようこそ」という思いで手を差しだしたところ、雪はその手の上ではにかむように解けてしまった。


季節によせて   vol.28   平成21年12月12日
短日や仕切りの多き旅鞄    晶
 一泊旅行ぐらいに便利な鞄を探している。手に提げられたりショルダーやリュックにもなる形で、物の出し入れがしやすく、荷物が増えても嵩張らずにスマートに見えるのがよい。ポケットは鞄の中にも外にも欲しいし、素材は軽くて丈夫なことはもちろん、雨や汚れに強ければなおよい。デザインは、シンプルながらセンスが良く使っていて楽しくなるのが良い。最後に値段だが高級感が漂うわりにお手ごろ価格というのであれば言うことなしだ。鞄屋さんがあれば覘いてみてはいるのだが、これは!!というのにまだ出会えずにいる。


季節によせて   vol.27   平成21年12月5日
ジャズに身をゆだねて十二月八日    晶
 先日、ジャズフェスティバルがあった。街の図書館やお城の能舞台、お寺の本堂、銀行や病院などが場所を提供し、好きなところでプロやアマチュアのバンド演奏が聞けた。根っからのジャズ好きが支える二日間の催しに、久々に心が浮き立ち夫と出かけた。二の丸跡の野外能楽堂で日差しを真正面から浴びながらのジャズも健康的でよかったが、日が沈み始めた頃、篝に火が入った。色づいた木の葉が舞台や篝の中に散りかかるのも野外ステージならではのもの。


季節によせて   vol.26   平成21年11月28日
焚口の外へ火の爆ぜ花八手    晶
 風呂を焚くのに製材所から薪を買っていた。むろん、何十年も前の話である。間伐材や角材を切り出した残りを束にして持ってきてくれるのだから、大方は生乾きですぐには使い物にならない。井桁に組んだり、塀に立てかけたりして干してはいたが、木の皮や脂もそのままついているので焼べると火の粉が飛んだりシューシューと脂が噴出した。燻されて泣けてくることもあったが窯の中の火の回りを見るのが好きだった。今では、狭すぎて身動きならない焚口だが、もう一度火を入れてやれば底板に乗ってこの五右衛門風呂に入れそうな気がした。


季節によせて   vol.25   平成21年11月21日
切干をもどして日向臭き水    晶
 切干を作ってみたくて九月半ばに大根の種を蒔いた。堆肥を入れ、畝をたて、夫と  しては頑張って作った畑だったのだが、葉っぱが青々してきた頃、一週間ほど留守をしている間に見事に虫の餌場になっていた。フェンスを隔てた隣の畑の大根は順調に育っているのにと、葉が穴だらけになった大根を抜いてみると、それでも親指ほどの太さに育っていた。しかし、これでは切干どころか大根おろしも出来そうにない。抜いた大根を刻んで味噌汁に入れてみたところ、ほのかに甘い大根の味がした。


季節によせて   vol.24   平成21年11月14日
追伸のごとくに咲いて返り花    晶
 高齢者にも簡単に扱える機種が発売され、私の母も80歳を過ぎて携帯電話でメールができるようになった。①蓋を開ける②手紙のマークを押す、など自分なりに手順を書き、それを見ながらの操作だから時間はかかるものの、慣れれば筆まめな人なので文章はお手の物、今では甥や姪がいいメル友のようである。母は彼らが幼稚園や小学校に通っていた頃から折にふれ手紙を書いていた。その手紙はまだ漢字が読めない子にも解るようにと絵文字を交えどれもとても楽しいものだった。几帳面な母の性格を受け継いだ妹はそれらの手紙を今も大切にしまっている。


季節によせて   vol.23   平成21年11月7日
かりがねや刃物使はず布を裂き    晶
 大正、昭和初期に銘仙と呼ばれる絹織物があった。ハイカラな柄だった母のそれはねんねこ袢纏や座布団に変わり私の記憶にある。丈夫とはいえ、使ううちに布の性が抜け少しの力でピリッと裂ける。すると、傷んだところを除いて接ぎあわせ、今度は風呂敷にしてマットなど季節のものをしまうのに使った。今年の夏、実家の押入れを整理していたら懐かしい布に包まれ変色してごわごわになったムートンが出て来た。何年忘たままだったのだろう、ムートンも布もすぐさま処分され、幾たびも容を変えた母の銘仙はようやく役を解かれたのだった。


季節によせて   vol.22   平成21年10月31日
蓑虫や捨てねば身軽にはなれず    晶
 小春日の風のない日など垂らした糸にぶら下がっている蓑虫を見かけることがある。見かけは粗雑な作りの蓑だが、裂いてみると内部はフェルト状でいかにも暖かそうだ。雄は夏に羽化するが、雌は蓑の中で卵を産み、それが孵化する頃に蓑の下にある穴から落下して一生を終える。木の葉を食べながら成長に合わせて小枝や枯葉で綴っては蓑を大きくしていく蓑虫。同性としては蓑から出られない雌に同情するが、住まい方としては究極かもしれない。そろそろ、冬物を出す季節、我が家はというと封をしたままの段ボール箱が押入れを塞いでいる。開けなくても不自由はないのだから蓑虫を見習って今度こそ片付けなくては‥。


季節によせて   vol.21   平成21年10月24日
降りたらぬ雲をとどめて崩れ簗    晶
 今年の秋はなかなか雨が降らず簗(やな)漁は苦戦をしいられたようだった。春先に海から上ってきた鮎は夏も終わりに近づくと産卵のために川を下る。天敵を恐れてか、昼よりも夜、晴天よりも大雨の後など川の水が濁っている時ほど多く落ちるそうで、仕掛けた簗には時に鰻がかかっていることもあるという。竹で編んだ簀の上に落ちてきた鮎が暴れて腹の卵が出てしまわないように、採れたらすぐ袋状のシートに入れ一気に冷凍するところもある。この漁法は弥生時代まで溯ることができるそうだが、堰もダムもない自然な川があってこその漁であろう。ゴム長ごしに水の冷たさを感じるようになると漁もそろそろお仕舞い。傷みの目立ち始めた簗には落葉が降り込み一雨ごとに秋が深まっていく。


季節によせて   vol.20   平成21年10月17日
色鳥や挿絵のための余白あけ    晶
 アメリカハナミズキの枝に鳥の餌台が吊るしてある。春先、幣辛夷や椿の蕾が鳥に啄まれるのを防ぐのが目的だったのだが、いつも目白が鵯に追い払われ餌にありつけないでいるのを見かねた夫が一計を案じ一段は鵯クラスの大きさの鳥は入れないような工夫をしたものだ。二枚の四角い板の四隅に紐を通した二段重ねの一見何でもなさそうな台なのだが、思惑通り鵯には下の台が狭すぎ餌が食べられない。今年の春はそんな鵯が餌台を揺らしながら金切り声をあげて騒いでいた。木の実を目当ての尉鶲やきれいな色の鳥の姿も目にするようになったが、我が家の給餌台は雪の降る頃までもうしばらくは空っぽのまま揺れているだろう。


季節によせて   vol. 19   平成21年10月10日
とびてすぐ光にまぎれ草の絮    晶
 草花は自分がどんな名前なのかなど思いもよらないだろう。秋の七草のように美しい名前の植物があるかと思えば、藪虱(やぶじらみ)、貧乏かづら、幽霊花など、気の毒になる名前もある。ともあれ精一杯咲いた花もやがて実を結ぶときを迎える。えのころ草や刈萱、芒、蚊帳吊草などのイネ科やカヤツリグサ科の植物は花だか穂だか区別のつきにくいまま、しだいにほつれて白い綿毛となる。その綿状になったものが草の絮(わた)だ。よい天気の続く日には草深い土手や荒地からたっぷりと光をふくんだ草の絮が秋の柔らかい日差しの中へ飛び立っていく様が見られる。


季節によせて   vol. 18   平成21年10月3日
屋根越しの沖のまぶしき松手入れ    晶
 私の町では子供が生まれると市から記念樹がいただける。以前は松が多かったようだが、最近はトンと人気がないそうだ。先日、剪定に来てくれた庭師さんが休憩の折、「自分たちの修行時代は親方が松を剪定している間、池の石を洗ったり砂利の苔を取ったりするような立派な庭もあった。」と話してくれた。腕をふるってもらうような立派な木はないが、貝塚伊吹の垣根を角刈りに、山茶花をポンポンのように丸く刈り込んでくれた。玄関先でそよいでいたシマトネリコはもう少し丈が高くてもとは思ったが、まあすぐに伸びるだろう。おかげで気持のよい秋の風が通るようになった。


季節によせて   vol. 17   平成21年9月26日
耳つんとなるほど登り初紅葉    晶
 蔵王連峰の主峰は山形県側にある熊野岳(1841m)で、古くは刈田嶺とも言われたそうだ。樹氷で有名だが冬はスキー、夏はトレッキングなどを楽しみに国内外を問わず訪れる人が多い。何年か前、私もバス旅行で訪れたが、急勾配に車酔いこそしなかったが上るほどに耳がつんつんしてきた。同行諸氏の心がけのおかげで天候に恵まれ、霧がかかることが多いというお釜も深い緑色の全容が見えた。この日の山頂は9月半ばにして最高気温が15度。七竈や櫨などはいち早く紅葉していて北国の短い秋を実感した。


季節によせて   vol. 16   平成21年9月19日
グラウンドの一部を灯し夜学校    晶
 通っていた高校は家から二、三分の所にあった。当時は二部制の高校だったので、放課後、部活終了のチャイムで下校する頃、正門辺りで定時制の学生とすれ違った。帰宅して机の前の窓を開けると今までいた校舎が目の前にあり、すれ違いに学校に入っていった人たちの教室が明々と灯っている。運動部が譲り合いながら使っていたグラウンドには照明もあったが昼間の明るさには程遠い。大方は灯が消えた校舎に響くチャイムは私の家まで聞こえ、休憩時間になったらしい教室の人の動きが窓越しに見えていた。


季節によせて   vol. 15   平成21年9月12日
せせらぎの鈴振るごとし秋澄めり    晶
 我が家の犬は今年15歳、人間で言うと立派な後期高齢者だ。健康診断で「長生きするよ」と言われたが、さすがに暑さは堪えるようなので散歩は涼しくなってからにしている。20分ほどの散歩の途中には川があり、ザリガニや小さな魚がけっこういる。それを狙って鷺や鶺鴒、時には翡翠も姿を見せることがある。つい最近までは攩網(たもあみ)やバケツを持った子供たちの声で賑やかだったのに、九月も半ばになると、夕方まで水辺で遊ぶ子はもういない。少し冷たくなった川の水が心もち軽やかな音で石の合間をすり抜けていく。


季節によせて   vol. 14   平成21年9月5日
薬草の乾ける匂かなかなかな    晶
 今年の春、友人の庭から我が家にない色の都忘れを分けてもらった。その時、どくだみがついてきたらしく6月ごろ白い花を咲かせた。どくだみも一株二株のうちは良いが、繁殖力が旺盛なので蔓延ると抜くのも一苦労だ。こんな厄介者扱いのどくだみだが、昔から血行促進、便秘解消、肌荒れ防止などに良いとして利用されてきた。刈り取って乾かすと臭みが薄れ扱いやすくなるが、効果は青臭い生のほうが格段あるそうだ。ちなみにどくだみの花言葉は「白い追憶」。どう解釈するのか難しいところだが、何にしても青臭いにおいからの連想ではなさそうだ。


季節によせて   vol. 13   平成21年8月29日
芋虫の朝昼夜となく太る    晶
 青紫蘇が穴だらけになったと思ったらオンブバッタがすごい勢いで葉を食べている。背負われているのは子供ではなく雄。雌は4センチほどで丈夫そうな足腰だ。紫蘇の隣ではイタリアンパセリが芋虫に食べられいつのまにか茎だけだし、チコリやサラダ菜も見事なレース模様。それにしても、彼らは起きている間中こうやって食べているのだろうか。青虫を箸でつまもうとすると、丸々と太った身をよじって抗う。暑さにかまけて手を抜いているうちに小さな菜園は虫たちの恰好の餌場になっていた。


季節によせて   vol. 12   平成21年8月22日
風よりも日差しにこぼれ稲の花    晶
 嗅覚には記憶を呼び覚ます力があるようだ。子供の頃、漠然と田の匂いぐらいに思っていた匂いが稲の花のものだったと近頃わかった。稲は晴れた日の午前9時半頃から午後2時までの短い時間しか咲かないそうで、品種にもよるのだろうが、一つの穂には天辺から順に100個ぐらい花を付けると言われる。白い小さな花は風や虫の力を借りることなく、籾を割っておしべが出るときにはもう自家受粉を終えているらしい。
 暑い盛りに咲く稲の花の匂いは、指がふやけるほど泳いだプールや宿題を後回しにして遊んだ夏休みを思い出させる。


季節によせて   vol. 11   平成21年8月15日
花びらの散りゆくごとし踊果て    晶
 お盆近くになると浴衣の着方の講習会がある。今ではあまり着る機会もないが、年に一回でも袖を通し下駄を履くのはよいことだと思う。故郷の町でも盆踊りには櫓太鼓が景気よく鳴り、人出も多い。踊の輪を少し離れたところでは、帰省した人が顔見知りと懐かしそうに話す姿も見える。世話係の人たちのおかげで、近頃は模擬店のほか花火もある。会場の隅に仕掛けた短めのナイアガラの滝や小玉の打ち上げ花火がぽん、ぽんと間をおいて揚がるのも手作りっぽくてよい。硝煙の臭いが薄れるとともに夏の休暇が終わるのを感じる。


季節によせて   vol. 10   平成21年8月8日
新涼や水注して瓶透きとほり    晶
 犬が棘で怪我をしないようにと言う夫の一言で薔薇を鉢で育てている。ほとんどが四季咲きなので何かしらいつも咲いていて切花には事欠かない。真夏の暑さでアブラムシは減ったが、カミキリムシやチュウレンハバチなど薔薇の天敵が毎日のようにやってくる。卵を産みつけられたら枯れることもあるので、見つけ次第お命頂戴となるわけだが、先だって夫に捕まったカナブンは「もう来るなよ」と言われて放たれた。来るなと言われて来ない虫などはいないと思いながら、踏み潰すことも憚られ捕まえた虫を袋に入れてゴミ箱に捨てるのである。


季節によせて   vol. 9   平成21年8月1日
乗換への駅に忘れし夏帽子    晶
 私一人で帰省するときは新幹線を利用している。もちろん、犬も一緒でケージに入れて行くわけだが、これが結構重く、他の荷物はとても持てない。宅配便で送る荷物を詰めていると、察知して必ず、僕をお忘れなくと鞄の中に入ってきたり、自分のケージを早く出せと請求する。もし、宅配便のシステムがなかったら、この暑さの中、犬を入れたケージと荷物を両手に電車を乗り継いで行かなければならない。帽子どころか、荷物の一つや二つ、いや、もしかしたら大事なケージもどこかに置き忘れてしまうかもしれない。ケージ一つを持って身軽に家を出るはずなのに故郷の駅に着く時には美味しい巻寿司の包みを提げている。


季節によせて   vol. 8   平成21年7月25日
上げし棒の上に太陽西瓜割り    晶
 西瓜割の棒にも規格があったことをご存知だろうか。今はもう存在しないようだが、1991年にJAが西瓜の消費拡大のためにJAWA(日本西瓜割り協会)なるものを設立し公式ルールまで作っていたそうだ。件の棒は直径5センチ以内、長さは1メートル20センチ以内とある。また、西瓜と西瓜を割る人との距離は9メートル15センチで、制限時間は3分。審査員の資格はその年の西瓜を10個以上食べていることが条件という厳格な(?)規定が記されていた。目隠しをされ二、三遍回されたら、もう方向も距離もさっぱりわからなくなる。真夏の太陽に思い切り棒を振り上げ、潔く空振りするのみである。


季節によせて   vol. 7   平成21年7月18日
その下に犬が寝そべりハンモック    晶
 南の島に行った時のこと。金髪の少女が寝ているハンモックの下で同じような金色の毛の犬が寝そべっていた。どこの国でも子供と動物は文句なくかわいい。
15年前、私は元気で負けん気の強そうな白い子犬に一目惚れした。他にも飼おうかと思案しているらしい人がいたが、かまわずケージから抱き上げ家に連れ帰った。爾来、その白い犬は夫の溺愛の下、予感どおり賢く、しかしややわがままに育ち、今ではすっかり家族の一員となっている。まもなく夏休み。昨日、彼が帰るのを楽しみに待っていると母から電話があった。


季節によせて   vol. 6   平成21年7月11日
凌霄花の咲き定まらぬままに落つ    晶
 西日除けにと傘仕立てにした凌霄花がある。家を建て替えたとき枯れてしまうのではと心配したが、幹が見えないほど葉が生い茂り花を咲かせている。ある年、鳩が出入りしていると思っていたら絡まりあった枝を利用して巣を作っていた。やがて卵を抱えだし雛が生れた。親鳥を怖がらせないように、凌霄花の近くに植えている紫蘇やトマトの収穫も遠慮していたのに、ある日親鳥が朝から激しく鳴いた。雛を猫に取られたようだ。二日ほど巣の辺りにいたが二羽ともどこかに行ってしまった。窓越しに甲斐甲斐しい親鳥の様子を見ていたのでなんとも切ない思いがした。


季節によせて   vol. 5   平成21年7月4日
朝涼や並べて浅き洋食器    晶
 帰省した折に食べた焼きたてパンの美味しさが忘れられず、我が家もパン焼き器を買った。材料を入れて待つこと数時間、香ばしい匂いとともにパンが焼きあがる。これに自家製のヨーグルトと季節の果物を添えれば、今日も一日頑張ろうと元気が出る。
 庭ではどっさり実をつけたブルーベリーがようやく食べ頃になってきた。待ちかねていたのはヒヨドリも同じで、子連れでやってきては甘く熟れた実を嘴移しに雛に食べさせている。


季節によせて   vol. 4   平成21年6月27日
藻の花のそよげるほどの流れかな    晶
 やはり、温暖化の影響なのだろうか、ここ数年で雨の降り方が変わったような気がする。傘が役に立たないような土砂降りも珍しくなく、浸水被害や地盤の陥没なども報じられる。濁って増水した川は水辺の草木を呑み込みながら流れるのだから水草などはもみくちゃだろう。
 何もかも押し流されたかのような川でも、濁りが薄れ川底まで透けて見えるようになると、いつのまに花をつけたのか水草が風にそよぐように花びらを揺らしているのに気づく。


季節によせて   vol. 3   平成21年6月20日
老鶯や山の奥にも山ありて    晶
  血圧が気になり始め、友達とウォーキングを始めた。自然が豊かなこの辺りでは季節の移り変わりが身近に感じられ、今では歩くことが楽しみだ。そんな中で春からずっと気になっていることが一つ。当地の鶯に「ホーホケキョ、ケキョ」と鳴くのがいるのだ。初めは聞き違いかとも思ったのだがどうもそうではないようで、春を過ぎこの時期になってもまだ「ケキョ」の一声が多い。個体差なのか訛りなのかと思いながらも、「字あまりですぞ」とひそかに呟いている。


季節によせて   vol. 2   平成21年6月14日
追熟を待つ梅漬けの樽洗ひ    晶
 今年も梅が店頭に並び始めた。買って出て三軒分の梅を漬けているので小梅から順に要領よく漬けないと重石が足らなくなるという具合で、この時期は何をおいても梅仕事が最優先だ。
 二年ほど前からは姪がお世話になったホームステイ先へも送っているが、梅干をおやつ感覚で食べるフランス人というのも珍しい。
 今年は梅の実がまだ青かったので甘酸っぱい匂いがするまで少し寝かせておいた。まだまだ思うようにはいかないが、小梅4㌔、南高梅10㌔、何とか漬け終えた。


季節によせて   vol. 1   平成21年6月10日
あじさゐやまだ封切らぬインク壺    晶
   昨年、マンション住まいの妹から紫陽花を一鉢預かった。 彼女の夫が勤める会社の創立何十周年かを記念して作られた新品種だそうだが、我家に来た時には花の時期はとうに過ぎていた。 根を張るにはあまりよい場所ではなかったが、地面に下ろしてやると冬を越し蕾をつけた。 
 雨の季節を迎えその薄緑の蕾はどんな色の花を見せてくれるのだろう。 雨の合間に、しっとりと咲く草花を見て歩くのもこの季節の楽しみだ。

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