今までの俳句
令和2年度

季節によせて Vol.481   令和3年3月27日 
神代より粗雑なること鴉の巣     晶 
 ネイチャーセンターなどに行くと鳥の巣を展示するコーナーがあって鳥の生態や習性とともに古巣がおかれていることがある。草を編んだかのように几帳面に作ったものや木の洞などを利用してそこへ草や綿毛を敷き込むものなどあって見ていて飽きることがない。しかるに、鴉はと言えば本当に雑で、これで子供が良く落ちないなと感心するほどである。

季節によせて Vol.480   令和3年3月20日 
囀りや石火ほどなく火を発し     晶 
 石火(せっか)とは火打石を打って出す火のこと。火打石で発した火が藁しべや木の皮に移り燃え移ったときのことを詠んだ。囀(さえづり)は繁殖期の鳥の縄張り宣言と雌への求愛の声として、歳時記では普段の鳴き声(地鳴き)とは区別している。早春から晩春にかけて様々な鳥の声を聞くことができるが一番身近な雀も耳をすませば軒先でチュンチュンと張りのある声で鳴いている。

季節によせて Vol.479   令和3年3月13日 
揉まれずに育ち内海産栄螺     晶 
 釣の番組で栄螺(さざえ)も波でもまれて角がとがっている方が美味しいと言っていた。食べ比べたことがないからわからないが、波の荒い所で育ったものと穏やかな所で育ったものではやはりそれなりの違いはあるのだろう。見た芽でも確かに内海産のものは角が丸い。角をひっかけて岩場にはりつかなくても流されることがないからだそうだ。ともあれ、採れたての栄螺に醤油を垂らして七輪で焼く栄螺の壺焼は春の磯遊びのあとの楽しみの一つ。

季節によせて Vol.478   令和3年3月6日 
雲までも払ふ気負ひや牡丹の芽     晶 
 牡丹は寒さに強いので冬牡丹(寒牡丹)と言って藁などで覆いをしてやれば寒さの中でも花を楽しむことができるが、一般的には寒さに耐えた芽が勢いよく芽生えるのは当地では二月中旬以後。少し黒みを帯びた赤い焔の形の芽が目を引く。「一寸にして火のこころ牡丹の芽 鷹羽狩行」寸程の芽に火のこころを感じ取ったのも牡丹が百華の王と呼ばれる花だからこそだろう。

季節によせて Vol.477   令和3年2月27日 
荒磯の岩に根付ける流れ海苔     晶 
 波の穏やかな入り江や潮入湖などでは海苔の養殖が盛ん。天然の海苔の採取は古くからおこなわれ、養殖は江戸時代からと聞く。満潮時には篊の頭しか見えないが干潮時には野菜畑のように緑の区画になる。そんな中を海苔舟が海苔網の下に入っていき海苔まみれになりながら海苔を機械で刈り取るという光景は冬の初めから春にかけて見られるが、春に採ったものが光沢もよく香りも高いそうだ。ほろほろと口の中でほどけて磯の香りが鼻に抜ける。採れたての海苔ならではの食感。

季節によせて Vol.476   令和3年2月20日 
ものの芽の身じろぐさまにほぐれけり     晶 
 冬の間、固い鱗片で覆われていた落葉樹の芽は寒さが緩み、温かい日が数日続くと少しずつ膨らみやがて、一片ずつほぐれだす。これは「冬芽」「冬木の芽」と言う。「ものの芽」は、早春、萌え出る植物の芽。木の芽ではなく草の芽のこと。土の中から芽を出したかと思うとあっという間に柔らかな緑の葉を繰り出すのである。

季節によせて Vol.475   令和3年2月13日 
寒明けて鴉の声の濁りだす     晶 
 今年の冬は何十年に一度という寒波の襲来で、北陸、東北地方は雪の被害に直面した。雪国の雀や鴉(からす)はこの時期どうしているのだろう。雪の降りこまないところなどあるのだろうか、餌を食べずにどれだけ生きていられるのだろうかなどと、普段なら中継画面に映りこむ鳥がいないテレビ画面に想像を巡らせる。三月から八月が鴉の巣作り子育ての時期。暖かい当地ではすでに人家近くでも巣作りの物件探し?が始まったようだ。

季節によせて Vol.474   令和3年2月6日 
白鳥の内股歩き水を出て     晶 
 大型の水鳥で、嘴と脚を覗き全身純白で水に浮かぶ姿は本当に美しい。琵琶湖畔に小白鳥を見に行こうということになって雪が降るような日に出かけた。帰りたいほど寒かったが、こんな日は小白鳥も寒いのか動きが悪くおおかたはじっと丸まって寝ていた。別の日、飛び立った白鳥は近くの田んぼに降り立ち餌をさがして体を左右に揺らしながら歩いていた。白鳥はやはり水に浮かんでいるのが似合う。

  白鳥といふ一巨花を水に置く(草田男)


季節によせて Vol.473   令和3年1月30日 
ささやかにして揺るぎなき冬木の芽     晶 
 冬になって葉を落とし尽くした落葉樹、まるで枯れたかのように見えるが枯死したわけではなく、小さな芽を育んでいる。それがふくらんでくると春は近いが、今はまだ寒中、植物も小さな芽をつけたまま休眠中のようである。

  雲割れて朴の冬芽に日をこぼす(茅舎)

  冬木の芽水にひかりの戻りけり(角川照子)

  冬木の芽ことば育ててゐるごとし(片山由美子)

冬芽というのは木の芽のことで草には使わない。「草の芽」は春の季語。


季節によせて Vol.472   令和3年1月23日 
鳥総松元祖味噌屋の金看板     晶 
 初めて句会に参加したときの兼題が「鳥総松(とぶさまつ)」。兼題とはあらかじめ出される題のことで句会の参加者がみんなその題で俳句を作って持参する。因みに席題というのはその場で出される題のこと。生まれて初めて耳にする「鳥総松」という季語を歳時記で調べなければならなかったが、知らないことを調べるのはできるが、それを俳句にするのは全く別問題。その日から宿題と締切に追われる日が続いている。因みに「鳥総松」とは門松を取り払った後に、松の梢を折って挿したもの

  門深く行く人見ゆる鳥総松(虚子)

  宵の灯に赤き灯もあり鳥総松(草田男)


季節によせて Vol.471   令和3年1月16日 
ひと撫でに半紙均して筆始め     晶 
 書道用の紙には漢字用、仮名用があるらしい。そしてそれぞれの紙にも手漉、機械漉き、手漉画仙紙などあって、目的によって書家は使い分けているようだ。細かいことはわからないが、それなりの紙ともなれば、門外漢の私でも、手触りや艶の違いはわかる。こんな紙なら墨ののりもよいだろうとか表装したら映えるだろうと思ってみても、腕が伴えばこその値打ちだ。

  くれなゐの色紙を選ぶ筆始(ひふみ)

  文鎮の位置定まれる筆始(倶子)


季節によせて Vol.470   令和3年1月9日 
お降りや鶏うづくまり犬走り     晶 
 御降(おさがり)とは、元日、あるいは三が日の間に降る雨や雪のこと。雨は涙を、降るは古を連想させるとして正月の忌み言葉として御降と言い換えられた。正月早々の雨や雪は多少がっかりもするが、御降があると富正月と言って豊穣の前兆だとされた。

  お降りを来て濡れてゐず女客(狩行)

  お降りのすぐ止むことのめでたさよ(汀子)

  お降りの水輪立てつつ音もなし(与謝男)

とは言え、やはり正月、例句にもあるようにすぐ止むような少しばかりの雨が望ましいようだ。


季節によせて Vol.469   令和3年1月2日 
羽繕ひなほざりにせず浮寝鳥     晶 
 水に浮かぶ鳥をまとめて水鳥というが、あひるやカルガモは含まれない。

多くは秋に北から渡ってきて春にまた北へ帰る冬鳥を言い、鴨や雁、鳰、鴛鴦,白鳥などをさす。水鳥たちはもちろん飛びもするが、見かける姿はといえば大方、水に浮かんでいるか寝ているか。水に浮いたまま寝ている姿を浮寝または浮寝鳥という。


季節によせて Vol.468   令和2年12月26日 
いちはやく水底暮るる年の果     晶 
 一年で最も日が短いのは冬至、だいたい12月22日ごろ。日が暮れるのが早いとなんとなく気ぜわしい。かてて加えて年末、日頃さぼっているつけがたまってあちらこちらの汚れが目につく。とりあえず目に付くところからとりかかるがあっという間に年の果。来年こそは心を入れ替えてと例年思うのである。コロナ感染症が早く収まり来年はいい年になりますように。

季節によせて Vol.467   令和2年12月19日 
ラガーらの一枚岩となりて押す     晶 
 ラグビーワールドカップのおかげで俄ラグビーファンになった。よくわからなかったルールや言葉もなんとなくわかった気になってテレビの前で応援するだけでなくついに会場へ出かけて行った。駅から会場まで歩いていくのだがすでに長蛇の列。私のような人がいかに多いかと可笑しかったが、生の迫力はやはり素晴らしい。スピードと迫力に魅了されてしまったが、会場は吹きっさらし、熱戦を見ていてもやはり寒かった。

季節によせて Vol.466   令和2年12月12日 
遠目にも猟夫とわかる足運び     晶 
 鳥獣保護法により定められた猟期は11月15日から翌年2月15日だが、田畑を荒らす有害な鳥や獣は一年を通じて撃ってもよいことになっているそうだ。東北地方のマタギのように、寒い冬の間の生業とする場合もある。時おり、利用するコミュニティーセンターでも猟友会の月例会と一緒になることがある。少し年配の男性たちがエレベーターで会場に向かうのだが、いつもどんな話をしているのだろうと気になっている。   猟夫:さつお

季節によせて Vol.465   令和2年11月28日 
北窓を塞ぎ親しき鳩時計     晶 
 「北窓塞ぐ」「北塞ぐ」は冬の季語。北風を防ぐために北向きの窓を塞ぐことで、本格的な冬の到来の前に、窓の戸を下したり、板を打ち付けたりする。日本海側など冬の厳しい地方では、ただでさえ空はどんよりと重苦しい。風を防ぐためとはいえ、窓を塞がれるとなんだか閉じ込められたような息苦しさを覚えるのではないだろうか。北陸から当地へ来られた人が冬でも洗濯物や布団が外に干せると喜んでいた。

季節によせて Vol.464   令和2年11月21日 
しぐるるや汽笛交してすれ違ひ     晶 
 冬の初め、晴れていても急に雨雲が生じて、しばらく雨が降ったかと思うとすぐに止み、また降り出すということがある。これを「時雨」といい、その冬初めての時雨を「初しぐれ」。京都の「北山時雨」能登の「能登時雨」と、本来は限られた地域で使われていたが、次第に通り雨を時雨と呼ぶようになった。時雨はその定めなさ、はかなさが本意とされ「歌語」から発したもの。

季節によせて Vol.463   令和2年11月14日 
くすぶるがごとく雨中のななかまど     晶 
 バラ科の落葉高木で、夏には白い小さなが群がって咲く。材が硬いためか、七度窯に入れても燃えるところからこの名前がついたと言われているが、真偽のほどはわからないが、薪炭としてだけではなく、細工の用材としても重宝されているようである。朝晩は肌寒さを覚える11月半ば、時雨に合うことも珍しくない。あんなに紅葉が美しかったななかまども葉を落とし赤い実だけが房状に残っているのも印象的である。

季節によせて Vol.462   令和2年11月7日 
藤の実の爆ぜたる莢の捩れかな     晶 
 藤は花が終わると細長く扁平な莢状の実をつける。はじめは緑色の莢が秋の深まるにつれて硬く灰緑色になり、やがて莢がはじけて中の種が飛び出す。野生の藤はパチンパチンとか、ボーンとか、結構大きな音を立てて弾けるそうだがまだ聞いたことはない。大きくよじれた莢を見かけるたびに一度聞いてみたいと思うのだがなかなかチャンスがない。

季節によせて Vol.461   令和2年10月31日 
満天に星出揃ひて虫時雨     晶 
 俳句での「虫」は、秋に鳴くキリギリス科とコオロギ科の虫のことで、その音を愛でるのを本意としている。まだまだ暑い立秋の頃から鳴きはじめ夜風が心地よくなるころには一斉にいろんな虫が鳴き出し秋本番を感じさせる。たくさんの虫が集まることを「虫すだく」一斉に鳴き出すことを「虫時雨」という。虫にそれぞれ名前をつけてその音を楽しんだり競ったりしたのは平安時代の頃から。

季節によせて Vol.460   令和2年10月24日 
糸口のやうやく見えて胡桃割る     晶 
 胡桃の樹を見たこともなかったので、胡桃と言えば、チャイコフスキーの胡桃割り人形しか思い浮かばなかったが、長野県で初めて用具としての胡桃割りを見たときは感動した。堅い胡桃もこれなら難無く割れるだろう、素朴だけど実用的で、子どもでも危なくない。胡桃を常食としているか嗜好品としているかで道具も違ってくるものだ。日本ではオニグルミとヒメグルミが自生するが、小諸辺りでは中国原産のカシグルミ栽培もされているようだ。

季節によせて Vol.459   令和2年10月21日 
外さんとすれば葈耳なほ絡み     晶 
 正式な名前が葈耳(おなもみ)とは知らなかったが、歳時記には豨薟(めなもみ)・もちなもみとして掲載されている。オナモミのオはオスという意味で、メナモミよりも丈夫。道端だろうが荒れ地だろうがどこにでも生えて秋には棘のある楕円形の実をつけて、服などにくっついて種を広げる。子供の頃は「くっつき虫」と言って投げ合って遊んだものだが、これが絡みつくと何とも厄介。髪の毛などに絡みついたら最悪、鋏を持ち出すほかなかった。

季節によせて Vol.458   令和2年10月10日 
天狗茸踏んでにはかに日の陰る     晶 
 秋は茸好きの人にはじっとしていられない季節。それ専用の籠を腰に結わえて、傍目にもいそいそと出かけるんだそうだ。こういう人の御裾分けの茸なら安心していられるが、カルチャーセンター等で習っただけの知識だと何とも心もとなく、採るのもはばかられる。毎年、茸を食べて中毒を起こす人もあとを絶たない。美しい色をしているが猛毒の月夜茸、紅天狗茸、笑い茸は気づくとしても、区別がつきにくいものも多いので気をつけたい。ところで、「きのこ」と呼ばれ出したのは江戸初期あたりと案外新しい。それまでは「たけ・くさびら」と呼ばれていたらしい。

季節によせて Vol.457   令和2年10月3日 
荒海のうねりの及び萩の花     晶 
 「萩」を詠もうとすると「揺れ・うねり・風」という連想から抜け出すことが難しい。この句も萩越しに見えている海からの連想による。「萩」は草冠に秋と書くほど古来より親しまれ、秋の七草の代表的な花。「万葉集」では118首の「梅」を押さえて、「萩」は141首、なんと一番多く詠まれている花。王朝時代になると文学作品では貴族好みの優美な花が好まれたが俳句では野にある控えめな趣が好まれいまもよく詠まれているようだ。「萩咲けば時鳥鳴きやみ、散れば雁が来る」とも言われる。自然の移ろいに敏感だった先人に学ぶところは大きい。

季節によせて Vol.456   令和2年9月26日 
目を据えて高さ保てり鬼やんま     晶 
 「鬼」という文字を冠するだけあって、「鬼やんま」は他の蜻蛉とは迫力が違う。まず、その目玉。鮮やかな大きな緑色の複眼。肉食の蜻蛉はこの眼だで餌を物色する。この眼に睨まれたら虫たちは逃げるのをあきらめて観念してしまうかもしれない。胴はと言えば、これまた「鬼」お決まりの配色、黒に黄色の縞の配色。それも全長9センチから11センチ、翅は5,5センチから6,5センチ。さすが日本一の大きさ。この体を支えるにはかなりの力を要するだろう。ホバリング中の鬼やんまの眼がじっと前を見据えている。

季節によせて Vol.455   令和2年9月19日 
かなかなの林明るくなりはじめ     晶 
 蜩(ひぐらし)の鳴く条件としては周囲の気温と明るさが関係している。近くに里山の自然が残っているため、蜩は条件さえ整っていれば六月半ばごろから九月末辺りまで鳴いている。宵っ張りの私などはさあ、これから寝ようかと思う頃に鳴き出す声を聞いた。一年で一番日の出が早いのは夏至の一週間ほど前、夏の昼間は長い。漸く日が傾き、風が出始めたころから蜩はまた鳴きはじめる。夕方の声は心なしか朝より淋しく聞こえる。

季節によせて Vol.454   令和2年9月12日 
海光のまぶしき方へ帰燕かな     晶 
 いつの間にか空から燕が姿を消した。暑くて閉じこもってばかりだったけれど、自然界は着実に季節がすすんでいたようだ。燕は春に日本に渡ってきて卵を産み子育てをし秋に南に帰る渡り鳥。子育てのために餌を求めたり、渡りを前にして縦横無尽に空を飛び回る姿は夏の空には欠かせない。当地に来る燕はどんなルートを通って南へ下っていくのだろう。台風シーズンでもあるこの時期、無事渡りを終えられるよう願う。

季節によせて Vol.453   令和2年9月5日 
教室のワックスにほふ休暇明け     晶 
 昭和の校舎は木造だったため、長期の休みの間には先生や用務員さんが油拭きをしてくれていたのだろう、休み明けの教室や廊下はワックスの匂いがした。てらてらと光る廊下、きれいに水拭きされた深緑色の黒板、チョークの粉がぬぐわれた黒板の溝と黒板拭き。たった一か月ほど会わなかっただけなのに久しぶりに会うクラスメートも私より背が高くなっている。今年は何もかも変則な年だが、子どもたちには楽しい学校生活を送ってほしい。

季節によせて Vol.452   令和2年8月29日 
何ひとつ決まらぬ会議秋暑し     晶 
 立秋を過ぎて猛烈な暑さが続いているが、蝉は油蝉や熊蝉に法師蟬、蜩の声が交りだした。マスクをつけて過ごさなければならなかったこの夏は本当にやりきれないものがあったが、コロナ感染症は収束の兆しもないまま。この感染症に関する政府の対策会議は山とあるようだが、どれも場当たり的なものとしか思えない。、こんな状況で、インフルエンザの季節になったらどうなるのだろうう。ボルテージを上げて鳴く蝉に煽られて気温も上昇。今日も暑い一日になりそうだ。

季節によせて Vol.451   令和2年8月22日 
花びらの潮傷みして浜万年青     晶 
 浜万年青(はまおもと)は浜木綿のこと。関東以南の海岸に自生し、光沢のある葉を四方に広げて葉の間に50~100センチの花茎を縦十数個の白い花を咲かせる。

種子はコルク状で何か月でも漂流できるため、海流によって現在の自生地と言われるところに漂着し根付いたものらしい。種子は水がなくても発芽するほど丈夫なので机に放置した状態でも発芽の様子を観察できるそうだ。草地と砂浜の境などで白い花を咲かせている大型の植物があったら浜木綿。


季節によせて Vol.450   令和2年8月15日 
夏萩の心もとなき枝垂れかな     晶 
 六月ごろから咲く宮城野萩を夏萩と呼ぶが、俳句の季語としての夏萩は宮城野萩だけでなく夏に開花する萩を指す。高速道路の土手や野原で見かける青々としたものも夏萩。秋のこぼれんばかりに花をつけた萩になる前の萩の茂(しげり)なども本意のようだ。今年のように梅雨が長く気温もあまり上がらなかった7月は、しとどに雨に濡れて鬱々とした萩が重そうに感じた。

季節によせて Vol.449   令和2年8月8日 
それらしく岩の苔生し作り滝     晶 
 公園や庭園などで滝のように見せる仕掛けが作り滝。自然の滝には遠く及ばないが、町の中でも手軽な涼しさを感じられるものとしてあちらこちらで目にすることが多くなった。作庭技術が進んでいるので人工の滝でもそれらしく滝口も滝壺はもちろん、苔むした岩も配されなかなか立派なものもある。しかし、自然の滝との一番の違いは肝心な水の量と勢い。しぶきと音の迫がない。当然ながら、その場の雰囲気にあわせて設えられている。自然は人間の都合など忖度してくれないが。

季節によせて Vol.448   令和2年8月1日 
風鈴や一人に母家広すぎて     晶 
 古民家ブームらしく、古民家に移り住む人が増えている。外観は古い雰囲気のまま、中を住みやすく改築して暮らしているようだ。家族が多かった頃の家はどの部屋にも明かりがともり、ここはだれだれの部屋、ここは客間などと使われ、家族の思い出がたくさん詰まっている。子供が独立し、一人また一人と減って住む人がいなくなれば家は荒れるばかり。そんな家が朽ちていくのを見るのは忍びない。代わりに住んでくれる人があればどんなにありがたいことか。一人で広い家を持て余している人は多い。

季節によせて Vol.447   令和2年7月25日 
滝行や木にも石にも注連を張り     晶 
 滝行(たきぎょう)は密教や修験道,神道の修行の一つであるとともに、滝の水を全身に受けることで心身を鍛錬するものでもある。真言やお経、祝詞を唱えながら滝に打たれる。始めは冷たさや衝撃で苦しいがそれを乗り越えると苦しさが消え水に打たれるという感覚だけが残るそうだ。激しい水に打たれていると雑念も吹き飛び精神統一ができやすく自然との一体感も味わえるという。以前、何かの番組で私と同年代の女優さんが滝行を体験していたが、どんなコメントよりも彼女の表情が大変さを物語っていた。

季節によせて Vol.446   令和2年7月18日 
水道の水生ぬるき朝曇     晶 
 子供のころは井戸のある家が羨ましかった。蛇口からは冷たい井戸水が出しっぱなしになっていて麦茶や西瓜、トマトがひやしてあり自ずと喉が鳴った。真夏の水道水は生ぬるいを通り越して、お湯かと思うことさえあった。それで生臭さやカルキ臭さが気になって生水は飲めなかったのだが最近ようやく市販のミネラル水は沸かさずに飲めるようになった。ただしキンキンに冷えたもの。

季節によせて Vol.445   令和2年7月11日 
涼しさや磨ればなじみて墨・硯     晶 
 俳句を始めたころ。汗を拭き拭き、この暑いのにどうして「涼し」が夏の季語なんだろうと不思議だった。曰く、瀧の水音、螢、木陰など暑い夏だからこそ目や耳で感じる涼しさがある。そういうものに敏感になってこそ涼しさのありがたさがわかるというのだ。俳句では暑さの中のかすかな涼しさを捉えて夏を表現する、秋になっての涼しさは「新涼」。此あたり目に見ゆるもの皆涼し(芭蕉)、大の字に寝て涼しさよ寂しさよ(一茶)、どの子にも涼しく風の吹く日かな(飯田龍太)、無理のない詠みかたこそ涼しさに通じると思った次第。

季節によせて Vol.444   令和2年7月4日 
リネンみな白きホテルや明易し     晶 
 コロナウイルス感染症の自粛要請が解除になった今でも観光業は以前のような集客は望めないという。二次、三次と感染のピークが来ると聞くと以前のように気軽に出かける気になれないのが本音だろう。潮風に吹かれながら、はたまた鳥の声を聞きながら、海辺や高原のホテルで日常を忘れてのんびりとした時を過ごせる日が早く来ればいいと心から念じている。

季節によせて Vol.443   令和2年6月27日 
降りながら空の明るむ半夏生     晶 
 半夏生(はんげしょう)はサトイモ科の半夏(烏柄杓からすびしゃく)が生じる頃という意味で陽暦では72日あたり。まだ梅雨が明けていないので雨が多く、この日に雨が降ると大雨が続くと言う。昔は二毛作で麦を収穫した後に田植えをしていたので今よりも田植えの時期は遅かったようであるが半夏半作と言って遅くても半夏までには田植えを終えてないと収穫が半分になると言われたものだと聞いたことがある。

季節によせて Vol.442   令和2年6月20日 
陰と日向を縫ふやうに揚羽蝶     晶 
 小型の蝶は春の季語だが大型の揚羽蝶は夏の季語。淡黄色の翅に黒い筋や斑点のあるナミアゲハのことをさすことが多いが、キアゲハ、クロアゲハ、アオスジアゲハなどアゲハチョウ科の蝶の総称として呼ばれることもある。年5,6回発生すると言われ、公園や庭先などでも普通に見られる。日当たりのよい茂みの縁を好み、躑躅(ツツジ)などの花に集まると辞書にある。私としては茂みの縁をはなれて堂々と飛んでいるイメージだったのだが。蝶は一頭二頭と数えるらしい。


季節によせて Vol.441   令和2年6月13日 
針槐香放てば色褪せて     晶 

 針槐(はりえんじゅ)は北米原産のマメ科の常緑樹。明治初期に渡来した帰化植物で別名アカシア、ニセアカシア。5月から6月にかけて真っ白い蝶型の花を房状につけ、まわりには良い香りが漂う。護岸や砂防、採蜜のために植林したようだが丈夫で自然林にも侵入しているようだ。ミツバチが集めるこの花の蜜は最高級だそうだ。15センチの房になる花はてんぷらにして食べられるそうだがまだ寡聞にしてどんな味か知らない。



季節によせて Vol.440   令和2年6月6日 
ブローチになほす帯留め桐の花     晶 

 「ちょっと来て」と母が私を二階に誘うときは決まって何か買物をした時だった。今度は何をと、半ば呆れながらも興味津々、私も母の後ろから階段を上がると、和箪笥の前にま新しい畳紙に入った帯があった。まだ仕付け糸がついたままの着物や帯がいくつもあるのにと思ったが、母は留袖にも訪問着にも結べるからと嬉しそうに広げて見せる。身に着けることよりも買うことが楽しみだったのだろう。母が亡くなり、姪の結婚式で母が残した着物と帯を着付けてもらった時、係の人が「良くお似合いですね、」とほめてくれた。もしかしたら、着物も帯も私のために選んでくれていたのだろうか。



季節によせて Vol.439   令和2年5月30日 
鯉跳ねて水生臭き薄暑かな     晶 
 山女などの魚が跳ねるのは昆虫を捕食するためとも言われますが、鯉が跳ねるのはどうしてなんでしょう。上流へ向かってならやはり滝登りをするような鯉だからと納得もしますが、なんでもない池あたりでも飛び跳ねているのを見かけます。何かに驚くのか、体に着いた虫でも払うのか、なんとなく退屈だから跳ねるのか、調べてみましたが定説は見つかりませんでした。薄暑は初夏の少し暑さを覚えるくらいになった気候、そろそろ水草も水面を覆う頃。


季節によせて Vol.438   令和2年5月23日 
街路樹の影の連なり夏に入る     晶 
 丘陵地だったこの地が団地になって半世紀はゆうに経つだろうか。団地を貫くように流れる川のほとりにある第一公園には「矢車の増えてきらめく北斗川 誓子」の句碑がある。ここを開発した会社の誰かが山口誓子の結社「天狼」に入っていたのだろうかと想像する。矢車は軸のまわりに矢羽根を放射状に取り付け、風を受けて回るようにしたもので鯉幟などの幟竿の先についているもの。団地に多くの家が立ち並び、矢車がそこら中でからからと回っている様子を思い浮かべての句であろう。団地を一周する通りに植えられている欅もおそらくこの団地と同じように年を重ねてきたのだろう、深い影を落とす。


季節によせて Vol.437   令和2年5月16日 
立てかけて干さるるオール風光る     晶 
 栴檀の木が植えられている中学には県下でも珍しいカヌー部がある。このカヌー部を経てカヌー強豪高校に進学しオリンピックを目指す選手もいると聞く。

そんなチームだから朝練や部活もけっこうハードらしかったが、友人の孫娘は勉強と両立させながら全国大会出場をめざしてがんばっていた。学校の近くには流れの穏やかな川があり、中学に入学したばかりの子供達でもけっこう上達が早い。全開の艇庫にはカラフルなカヌーが並び朝練にやってくる生徒を待っている。



季節によせて Vol.436   令和2年5月9日 
栴檀のいささか遅れゐる芽吹き     晶 
 栴檀(せんだん)は双葉より芳し:この場合の栴檀は白檀。白檀は双葉のころから芳香を放つ意から、大成する人物は子どもの時から人並外れてすぐれたところがあるというたとえ。この句の栴檀はセンダン科の落葉高木で別名、樗(おうち)。初夏薄紫色の小花を円錐状につけ遠目には煙っているように見える木。近くの中学校のグランド側に植えられているのだが桜や花水木の芽吹きには後れを取っているようで、思わず大器晩成の木かと想像が飛んだ。


季節によせて Vol.435   令和2年5月2日 
潮の香を強め蒸し蛤の湯気     晶 
 かつては北海道南部から九州まで幅広く分布していた蛤だが、最近は浅海が減るなど環境の変化か,店頭に出回るほとんどが輸入の蛤に押されているようだ。汁物などはおおかた浅蜊ですませるが、椀の蓋を取った時の感激は味わえない。大阪住吉の洲崎が昔から蛤の産地として有名だが、この辺りでは三重県桑名の焼蛤も有名。以前、蛤が食べたくて蛤だけを扱うお店に行ったが大粒の蛤は殻の模様まで美しかった。


季節によせて Vol.434   令和2年4月25日 
中空に声を置き去り落雲雀     晶 
 鶯(うぐいす)や時鳥(ほととぎす)ほど初鳴きを待たれている鳥ではないが、やはり雲雀(ひばり)の声を聞くと心が晴れやかになる。毎年、二月中頃になると、今日散歩中に聞いたよと友人から雲雀だよりがあるのだが、今年は三月になってようやく聞くことができたようだ。まだ麦畑が広がる当地では日の出前から雲雀の声がする。繁殖期に縄張りを宣言するために雄がピーチュルピーチュルと空高く舞い上がるのが揚雲雀(あげひばり)、高いところでホバリングをしながらしばらく鳴き、鳴くのをやめ一直線に落下するのが落雲雀(おちひばり)。天上へ何かを告げに行く鳥とみなして告天子(こくてんし)という呼び方もある。


季節によせて Vol.433   令和2年4月18日 
蜜吸つて声なめらかに春の鳥     晶 
 春の明るい日差しが野山に満ちて来るといろいろな鳥が姿を見せるようになる。春は鳥の繁殖期。年中見かける雀の声まで違って聞える。鶯や目白、椋鳥などの漂鳥や渡ってきた鳥たちは繁殖のための縄張りを宣言したり相手を求めて囀る声も賑やかに。雌はその囀りや雄が用意している巣を見定めてお相手を決めるのだろうから、ライバルとのしのぎを削りながら雌の気を引く雄はさぞかし大変だろう。


季節によせて Vol.432   令和2年4月11日 
鶯や湯揉み板より湯のしづく     晶 
 鶯は雀ぐらいの大きさで冬は市街地など低地で見られ、だんだん低山地、高山帯の低木林へ移動する漂鳥。冬期は藪などでチャッチャッという地鳴き(笹鳴き)をしているが、二月頃からホーホケキョ(初音は二月初旬)と鳴きはじめ、ケキョケキョと続けざまに鳴きだす(谷渡り)。春もたけなわ、木から木へ枝移りしながら鳴きたてるのが流鶯(りゅうおう)。夏、高山地帯などへ移れば夏鶯、老鶯(ろうおう)乱鶯(らんおう)。晩夏、繁殖期を過ぎて鳴かなくなった鶯には「鶯音(ね)を入る」という季語がある。声も姿もない秋には鶯の季語はない。


季節によせて Vol.431   令和2年4月4日 
京ことばよりもやはらか蕨餅     晶 
 お菓子の句が続く。蕨餅(わらびもち)は立春を目安に作り始められる餅菓子。年数を経た蕨の餅を細かく砕き、水に晒して澱粉粉を抽出して芋の澱粉と混ぜたものを蕨餅粉という。夏の葛餅の粉とは違うのである。作りたての食感を保つことができないので大寄せなどの茶会の菓子で用いられることは少ないが、作り立ての黄粉の香りと柔らかな食感は何とも言えず幸せな気持ちにさせてくれる。安倍川餅、鶯餅、蕨餅、食感は違えどどれにも私の好きな黄粉が。



























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