今までの俳句
令和6年度

季節によせて Vol.686   令和7年3月15日 
この世へと耳を傾け涅槃像     晶 

 釈迦入滅の日と言われる旧暦215日の法要が涅槃会。現在では315日前後に行われることが多く涅槃像や涅槃会を拝し遺徳を偲ぶ。涅槃像のお釈迦様は目は閉じていらっしゃるが、横向きなので大きなお耳が印象的であった。

・座る余地まだ涅槃図の中にあり(平畑静塔)

・涅槃図の近づきすぎて見えぬもの(駒木根淳子)


季節によせて Vol.685   令和7年3月8日 
靴底に厚くはりつき春の泥     晶 

 「春の泥」とは「春のぬかるみ」のこと。雪解けや霜柱などが解けて生じるぬかるみに足をとられた経験は誰にもあるだろう。日差しがまだ弱い春先は日向でも乾きが悪く泥濘を避けるように歩いたつもりでも裾には泥はねが

 ・春泥のふかき轍(わだち)となり暮るる
                  (金子麒麟草)

 ・春泥の道にも平らなるところ(星野高士)

 ・春泥のもっとも窪むところ照り(山西雅子)


季節によせて Vol.684   令和7年3月1日 
尉厚くなりたるままに春火鉢     晶 

 今では火鉢を使う家は少ないと思うが古い家ではまだいくつか残っていると思う。田の字型の昔の家ではどの部屋にも桜が咲くころまで火鉢があったように記憶する。尉とは炭が燃えて白く灰になったもの。炭をつぎ足すこともない昼間の春火鉢。

・生前にくはしき人と春火鉢(鷹羽狩行)

・坐りたる所に遠く春火鉢(星野立子)


季節によせて Vol.683   令和7年2月22日 
臼よりも杵の染まりて蓬餅     晶 

 茹でた蓬の葉を搗き込んだ蓬餅は春が来たことを香りで実感する。昭和の初めに先代店主が自ら摘んだ蓬で搗いた蓬餅は評判を呼んで午前中に売り切れてしまうほどだった。産毛が残るような蓬の若葉に臼も杵も緑に染まっていた。。

・草餅を焼く天平の色に焼く(有馬朗人)

・夜は雨といふ草餅の草のいろ(岡本眸)

・ちよつとだけ供へ草餅頂きぬ(北村仁子)


季節によせて Vol.682   令和7年2月15日 
火の走るところ風湧き野焼かな     晶 

 野焼、野焼くは害虫を駆除するための夜土手などの枯れ草を焼き払うことで、野焼きをしたあろの野を焼野とか末黒野という。

・野を焼くやぽつんぽつんと雨至る(村上鬼城)

・野を焼けば焔一枚立ちすすむ(山口青邨)

山焼く・畑焼く・畦焼くも同類の季語



季節によせて Vol.681   令和7年2月8日 
指にまだ馴染まぬ小筆春寒し     晶 
 旧正月を祝う風習も薄れ立春という言葉が定着したがやはり、春は名のみである。頬に当たる風はひりひりと刺す様で痛い。悴む手には何を持っても自分の手ではないような感覚さえある。小筆が指に馴染むころにはもう少し温かくなっているだろうか。

「春寒し」は立春後の寒さの事。余寒と同じであるがすでに春になった気分が強いとある。

春寒の闇一枚の伎芸天(古館曹人)


季節によせて Vol.680   令和7年2月1日 
葉牡丹や渦もて渦をおしひらき     晶 
 葉牡丹と言えば大株のものと決まっていたが、最近は色も形も珍しい品種が並び選ぶのに悩ましい。今年はビオラとの寄せ植えをしようと小振りな白系エンジ系3株買った。植えるのが遅かったのでまだ小さな株だが丈夫で春先まで楽しめるところが気に入っている。株の中央から葉を押し広げるように大きくなり仕舞いには茎が立ち上がってアブラナ科の薄黄いろい花を咲かせる。小さな一鉢で季節が感じられる。

季節によせて Vol.679   令和7年1月25日 
麦の芽や北に頂白き山     晶 
 稲作のあと、麦を育てる二毛作が当たり前だった頃は真冬でも麦の芽が風に吹かれてきらきら美しかった。それでも当地には麦畑が残っていて天気の良い暖かい日などは畑の中を歩く雲雀を見ることができる。伊吹おろしが吹きぬけるので少し伸びた芽は風に横倒しにふかれるが、風がやむと何事もなかったように葉を伸ばしている。麦の芽を踏むのは霜で浮き上がった根を落ち着かせるためだそうだ。

季節によせて Vol.678   令和7年1月18日 
鷽替へて見てきたやうな嘘をいふ     晶 
 鷽替とは、「昨年の凶事を嘘にして、今年の吉に鳥替える」意味だそうで、「替えましょ、替えましょ」と唱えながら木製の鷽を互いに取り替えていく。鷽は紙の袋に入っているのでどれも同じかと思ったら、金の鷽が混じっているそうで、それに当たるとその年は幸運が授かるとか。私が持ち帰ったのは普通の木の鷽だが毎日眺めていると何とも愛嬌のある顔で気持ちを明るくさせてくれる。

季節によせて Vol.677   令和7年1月11日 
海峡の早瀬まぶしき初景色     晶 
 元日に眺める晴ればれとした景色を「初景色」とか「初山河」という。ふだん目にしている景色でも年が改まったと思うと何となくいつもとは違って見える。心持ちのせいかもしれないが

・大き鳥きて止りけり初景色(永田耕一郎)

・初景色川は光の帯として(宮本径考)

・三輪山へ畝のびのびと初景色(田中春生)

・船の丸窓の中なる初景色(牛田修嗣)


季節によせて Vol.676   令和7年1月4日 
家中の火の気断ちたる淑気かな     晶 
 淑気(しゅくき)とは、新年の天地に満ちる清らかで厳かな気のこと。まだ誰も起きて来ない早朝の空気も改まった感じがして心地よい。新しい年が健康でよい年であることを祈る。

・葛飾は男松ばかりの淑気かな(能村登四郎)

・観音の頤仰ぐ淑気かな(森澄雄)

・冷泉流披講のあとの淑気かな(鷹羽狩行)

・闇ぬけて立つ山脈の淑気かな(井上康明)


季節によせて Vol.675   令和6年12月28日 
枝枝にまつはる煙落葉焚     晶 
 温暖化に配慮して大っぴらに焚火はできないが、山里では畑に時おり煙が上がるのを見かける。完全に乾いてないものの場合は焚火の色も匂いも違う。少し煙たいのを我慢しながら温まるのもいかにも冬らしい光景。

・なめらかに煙伸びゆく焚火かな(阿波野青畝)

・色々のてのひらのある焚火かな(塩田博久)

・焚火跡暖かさうに寒さうに(後藤比奈夫)

・落葉焚空をけぶらす遊びして(手塚美沙)


季節によせて Vol.674   令和6年12月21日 
積まれたる薪に湿りや雪ばんば     晶 
 雪ばんばとは綿虫とか雪蛍とも呼ばれるアリマキ科の虫。どんよりと曇った日などに白い棉を付けてふわふわ飛んでいる虫がそれ。北国などでは綿虫が飛び始めると雪が近いという言い伝えがあるほど暮しに結び付いている虫。

 ・綿虫の双手ひらけばすでになし(石田あき子)

の句のように、捕まえようとしても捉えどころがない。

本格的な冬が来る前に用意しておいた薪のあたりにも青白い光を負った雪ばんばが飛んでいる。


季節によせて Vol.673   令和6年12月14日 
だしぬけに水輪を生みて鳰浮かぶ     晶 
 カイツブリは年中いるが冬の池や沼で目につくことから冬の鳥とされる。褐色の水鳥で水中に潜ってはずいぶん離れたところに浮び出てびっくりさせる。時々鳴くがフィリリリリリと透明感のある声である。

 ・かいつぶり浮かび横顔見せにけり(宮津昭彦)

のように潜ってはどこに現れるのか、神出鬼没なところも魅力である。
 *鳰:ニオ(カイツブリ)


季節によせて Vol.672   令和6年12月7日 
べた凪の海にはりつき海鼠舟     晶 
 海鼠を最初に食べた人は称賛に値すると言われるが、あの形から食べ物とはまず思えない。しかし、このわたやこのことして酒の肴になったり乾燥して中華料理の材料になったりと高級珍味である。塩で揉んでぬめりをとるなどした処理がいるので最近はもう切ってあるものを買ってきて大根おろしとポン酢で簡単に味わうことができる。

季節によせて Vol.671   令和6年11月30日 
為し終へて余力いささか返り花     晶 
 「由無し」とは根拠や理由に納得がいかず、不満を感じるさまを表わす言葉。
➀理由がない、根拠がない
例)よしなきことなわびそ=根拠もないことをくよくよ悩むな
②手段方法がない
例)今更に由無し=いまとなってはどうにもできない
➂関係がない、ゆかりがない
例)忍びやかに門たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなきもののなのりして来たるとも=別の関係ない人が名乗ってきたのも興ざめだ
④無用だ
例)由なく猛き心を=無益に勇気のある所を
➄良くない、くだらない、風情がない
例)昔より由なき物語=昔よりくだらない物語
などと使われてきた。
どうでもよいことを書き連ねたが、これこそよしなきこと。散る続ける山茶花をうっとうしく思うこともある。

季節によせて Vol.670   令和6年11月23日 
為し終へて余力いささか返り花     晶 
  小春日和に誘われて咲く季節外れの花を帰り花という。返り花、忘れ花、狂い花、狂い咲きなどの傍題も。俳句では桜を指すことが多いが山吹、躑躅など他の花の場合もある。今年5月、享年93歳で他界された鷹羽狩行に「人の世に花を絶やさず返り花」という句がある。季節外れでもましてや狂い咲きでもない。あたかも返り花自体が意志を持って咲いたようで返り花を見るときの思いが変わった。

季節によせて Vol.669   令和6年11月16日 
みづからの影に身構へ枯蟷螂     晶 
  蟷螂(かまきり)を植物のように枯れると見立てた季語。実際は緑の蟷螂と褐色の蟷螂があって緑から褐色に色が変わることはないそうである。そのように、自然界ではありえないのだが、季節感を感じる言葉として今も季語として使われている。となるとどれもまことしやかに枯れてゆく様を詠んだ句が多い、

・蟷螂の眼の中までも枯れ尽す(山口誓子)

・蟷螂の枯れゆく脚をねぶりをり(角川源義)

・蟷螂の六腑に枯れのおよびたる(飯田龍太)


季節によせて Vol.668   令和6年11月9日 
晩菊を起こせば思ひのほかの丈     晶 
  晩菊という名前の菊ではなく、晩秋に咲くように栽培される菊のこと。大輪になるわけでもなくどちらかといえば、中菊や小菊が多いので庭の隅に植えて置けばいつまでも花をつけて蝶や蜂を呼び寄せてくれる。茎が華奢なので雨や風に弱く支柱をしていないとすぐに倒れてしまうところも晩菊らしい。

 ・道に出たがる晩菊をひと括りせり(山田みづえ)

山田氏の晩菊もすっくとは立ってなさそうだ。


季節によせて Vol.667   令和6年11月2日 
梁に累代の艶柿すだれ     晶 
  梁(うつばり)は棟を支えるために柱の上にわたす横木のこと。昔の農家の二階は蚕を飼ったり物を蓄えたりするので天井を設けず、梁がむき出しのところも多かった。窓を開け放つと日も風もよく入るので柿農家は渋柿を部屋中に簾のように吊るしていたようだ。干し柿は冷たい風に当てた方が美味しくなると聞く。時間をかけて作られたものは滋味深い。

季節によせて Vol.666   令和6年10月26日 
熟れ柿の今にも蔕の抜けさうな     晶 
  空き家になってどのぐらいたつのだろう、その家には見事な柿の木があった。犬の散歩でその家の前を通るたびに、柿の艶やかな若葉や青い小さな実が色付く様子などを見て季節の移り変わりを感じていた。熟れはじめるとすぐに鳥が来て、嘴傷が広がった熟柿は無残な姿に。日当たりが良いところなので熟柿になると四五日見ないうちに枝に蔕を残して道路に落ちて潰れていた。

季節によせて Vol.665   令和6年10月19日 
山霧や甲斐に備えへし馬防柵     晶 
  長篠城は永正5年(1508年)田峯菅沼氏の一族菅沼元成によって築かれ今川氏の配下となったが、その後家康と武田軍の間で争奪が繰り広げられ最後の戦いとなったのが長篠の戦(1575年)だ。武田軍の騎馬隊による攻撃を防ぐため馬防柵を築き鉄砲隊で迎撃することで武田軍から長篠城を守ったと記される。良い天気の時に訪れたが、霧の中から騎馬隊が現れることを想像すると背筋が寒くなる思いがした。

季節によせて Vol.664   令和6年10月12日 
気付かれぬやうに抜け出し星月夜     晶 
  どうしても中座しないといけない場合は初めからドア近くに坐るようにしている。そろそろ時間と思っても慌てず急がず、少しずつ荷物を片付ける。時に「あら、お帰りになるの?」という視線をなげかけられるが、「お先に」と視線で応えても手は止めないこと。荷物がまとまれば静かに抜け出すタイミングを待つ。場が盛り上がっている時が目立たなくて一番良いのだが、そうもいかない時は中腰になって静かに退席するのである。星月夜は月のない夜空が星明りで月夜のように明るいことをいう季語。秋は空が澄んで星は良く見えるが、目を引くような明るい星は少ない。

季節によせて Vol.663   令和6年10月5日 
丹の橋のあたり混み合ひ紅葉狩     晶 
  紅葉の名所にはだいたい川があって朱塗りの橋がある。混むのだろうと予測は付いたが出かけてしまった。紅葉なら近くの山でも良さそうなのだが、周りの景色や雰囲気を楽しみたいというのもあるのだろう。初紅葉、薄紅葉、紅葉、黄葉、照葉、紅葉且つ散る、黄落などと季語も豊富。その紅に触発されてか

・この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (三橋鷹女)

・大津絵の鬼が手を拍つ紅葉山 (桂信子)

・乱調の包み鳴り来よ紅葉山 (木内怜子)

   など激しい句もあるが

・障子しめて四方の紅葉を感じを (星野立子)

   静かな紅葉狩もよい


季節によせて Vol.662   令和6年9月28日 
日の暮てより重たげな蒲の絮     晶 
  池や沼に生える多年草の蒲。近くの川でも見られたのだが河川改修で葦も蒲も刈られてしまった。フランクフルトのような蒲の穂が熟れてくると穂がほぐれだす。鳥も種を狙ってか集まってくる。因幡の白うさぎはこの穂絮にくるまったそうだがこのふわふわ感なら十分役にたっただろう。

・いつさいの力を抜かれ蒲の絮(藤田湘子)

・蒲の絮雨の向かうに日射しあり(竹田秀治)

・海山の神々老いぬ蒲の絮(田中裕明)

・くだけ落つ蒲の穂わたのはなやかに(星野立子)


季節によせて Vol.661   令和6年9月21日 
夜はさらに音のすさびて落し水     晶 
  田には用水路より引く水口(みなくち)と水を出す落し水口がある。稲が実るころにはもう水はいらなくなるので、稲刈りが楽になるようにと落し水口を開けて田の水を流し出すのだそうだ。その水を「落し水」という。田の泥が乾くころ稲を刈る音があちらこちらから聞こえて村中が活気づいて来る。今年は高温や雨の影響で米不足が報じられていたので心配したが、なにはともあれ、美味しい新米の季節になった。

季節によせて Vol.660   令和6年9月14日 
地に残る雨の湿りやこぼれ萩     晶 
 秋の植物を代表する花だったので草冠に秋と書いて「はぎ」と読ませたと聞く。秋の七草のひとつで古来歌にも多く詠まれてきた。

 ・一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月 (芭蕉)

 ・萩に手をふれて昔の如く訪ふ (深見けん二)

 ・萩散つて地は暮れ急ぐものばかり (岡本眸)

 ・城にみな昔のありて萩の花 (片山由美子)

 ・白萩の雨をこぼして束ねけり (杉田久女)


季節によせて Vol.659   令和6年9月7日 
まつすぐに風を受けとめ紫苑咲く     晶 
 キク科の多年草の花。狭い庭では場所をとるのでこの辺りでは畑に植えられているのを見かける。茎は直立して高さもある。手折って持ち帰ろうなどとはゆめ思わない方がよい。花鋏で切るとけっこうな手応え。だから少々の風ではそよぐこともなく突っ立って見える。うすむらさきの花がたくさんつくので目立つが、コスモスの嫋やかさとは趣を異にする秋の花。


季節によせて Vol.658   令和6年8月31日 
棉の実の種のありかを手探りに     晶 
 花はオクラに、実の形は桃に似る棉。桃の実にいているため熟して白い棉が噴き出すことを「桃吹く・棉吹く」と言います。乾燥して弾けたものから種を取り出して糸をつむいだり、綿として利用しますが、現在は園芸種がほとんどで、繊維をとるための栽培は行われずほとんど輸入に頼っていると聞きます。近所で棉を作っている人に分けてもらったところ、この棉の白い繊維は思いのほか種に強く絡まっていて……紡ぐ作業の大変さを体感。

季節によせて Vol.657   令和6年8月24日 
白桃の薄紙越しの灯にも熟れ     晶 
  孫悟空が食べた桃は「蟠桃(ばんとう)」。ものの本によると丸く扁平な形をしていて味も濃厚、食べると不老不死の命が授かるとある。不老不死の命を授かっても悩ましいばかりなので、やはり普通の白桃、水蜜桃がいい。夫の実家には毎年岡山からとても美しい桃が届いていた。届いたときから桃とわかる香り!箱を開けると一つ一つ透けるような和紙に包まれて芳醇な香りを漂わせる白桃が。私など、今でも美しいと形容できる果物は桃だけだと思っている。

季節によせて Vol.656   令和6年8月17日 
鬼の子の蓑を錘に糸伸ばす     晶 
  枕草子に鬼の子である蓑虫が「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くと書かれている。もちろん蓑虫は鳴かないので清少納言の創作だが平安時代、すでに蓑虫は鬼の子と呼ばれていたらしい。雄は成虫になると巣を離れるが雌は一生巣から離れない。一生あの蓑から出られないのかと思うと気の毒であるし、案外ひそかに泣いていたのではないかと思ってしまう。

・蓑虫の父よと鳴きて母もなし(高浜虚子)

・蓑虫のあやつる糸のまづ暮れぬ(木津柳芽)

・蓑虫の蓑あまりにもありあはせ(飯島晴子)


季節によせて Vol.655   令和6年8月10日 
揺れやすき花を離れず秋の蝶     晶 
 蝶の命はと調べるとモンシロチョウ等の寿命は40日~50日だそうです。羽化する時期や種類にもよるでしょうが、いずれも成虫になっての寿命はそう長くないようです。だからでしょうか、蝶は季節ごとに親しく詠まれています。盛んに飛び回っていた夏の蝶も晩秋にはめっきり数が減り飛び方にも力がなくなってきます。蝶の生態や飛び方にも注目して詠みたいと思いました。

・草にある午前のしめり秋の蝶(鷲谷七菜子)

・我が影の伸びゆく先の秋の蝶(星野椿)

・逢はざればこころ離れて秋の蝶(三森鉄治)


季節によせて Vol.654   令和6年8月3日 
梵鐘の余韻ひきつぎかなかなかな     晶 
  明け方や夕方に「カナカナカナカナ……」と鳴くので「かなかな」と呼ぶ蜩は緑と黒の斑点がある黒褐色お体に透明な翅をもつ中型の蟬。クマゼミや油蝉のように鳴き終るまで声を張らないで消え入るように鳴き納めるのでなんともはかなげである。

・ひぐらしの幹の一本づつ奥へ(鷹羽狩行)

・かなかなや掬へば消える海の青(対馬康子)

・たちまちに蜩の声揃ふなり(中村汀女)


季節によせて Vol.653   令和6年7月27日 
粗塩にのこる苦みや秋暑し     晶 
  立秋以降の暑さを残暑、残る暑さ、秋暑し、秋暑といいます。もう秋なのにという思いがどこかにあるためか、真夏の暑さとは違うどこかうんざりするような感じが付きまといます。今年最高の暑さを更新というニュースを我慢しながらひたすら涼しくなる日を心待ちにしています。

紙切つて鋏おとろふ残暑かな(片山由美子)

吊皮に手首まで入れ秋暑し(神蔵器)

わが影の踏まれどほしに街残暑(田村正義)


季節によせて Vol.652   令和6年7月20日 
客待ちの舟に灯の入る夏の川     晶 
 鵜飼は飼いならした鵜に鮎を獲らせる漁法で、古事記や日本書記、万葉集などにもみられますし、現在でも夜鵜飼だけでなく昼鵜飼や徒歩鵜など各地でさまざまな鵜飼が行われています。有名な長良川での鵜飼も5月半ばから10月まで舳先に篝火を焚きながら幻想的な雰囲気の中繰り広げられています。

おもしろうてやがてかなしき鵜飼かな(芭蕉)

鵜飼見る紅惨のこの絵巻物(鷹羽狩行)

疲れ鵜の喉のふるへのをさまらず(浅井陽子)

夕影を待てるがごとき鵜籠かな(後藤夜半)

鵜松明川面の闇を切りすすむ(鷲谷七菜子)


季節によせて Vol.651   令和6年7月13日 
山寺と樹齢を重ね夏木立     晶 
 俳句では夏の青々と茂った木々は夏木立、一本ならば夏木と言います。寺領や神域には樹齢を重ねた木々が深い森や林を作っています。そんな木々の中には神木や誰々のお手植えと伝わる樹々も。樹木には触れているだけで何か伝わってくるものがあるようです。

塔ばかり見えて東寺は夏木立(一茶)

門ありてただ夏木立ありにけり(高浜虚子)

また雨の太き糸見え夏木立(星野立子)

四五本の夏木が影をひとつにす(谷野予志)


季節によせて Vol.650   令和6年7月6日 
木の皮のめくれんばかり蝉の声     晶 
 今年も早くから猛暑だと言われ覚悟はできているが暑さをものともせず朝から鳴くのが蟬。窓を開け放して寝て居ようものなら窓近くの樹で凄まじくシャンシャンシャン!とかシャーシャーシャー!とか。ビックリマークをいくつつけても足りないくらいの熊蟬。以前は関東には少ないと言われたいたが温暖化の影響で今は北限があがっているようである。

・やがて死ぬけしきは見えず蝉の声(芭蕉)

・これもこれもこれもさうなり蝉の穴(高田風人子)

・蝉時雨もはや戦前かもしれぬ(摂津幸彦)


季節によせて Vol.649   令和6年6月29日 
兜虫とぶ決断の翅を割り     晶 
 角の形が兜の前立てに似ているのでこの名前がついているそうで、甲虫(かぶとむし)、さいかち虫、また関西では源氏虫とも呼ばれるそうだ。デパートなどでけっこうな値段で売られているそうだが、飼育している人に聞くと世話をしてやればどんどん増えるんだそうだ。公園に放つわけにもいかず毎年譲渡先を探すんだそうだ。

 ・兜虫摑みて磁気を感じをり(能村研三)

 ・兜虫一滴の雨命中す(奥坂まや)

子供が角に糸をつけて物を曳かせて遊んだりすることから、

 ・ひつぱれる糸まつすぐや甲虫(高野素十)


季節によせて Vol.648   令和6年6月22日 
下ろしたるリュックに止まり黒揚羽     晶 
 東海道53次を歩こうというツアーに参加して京都三条大橋を皮切りにお江戸を目指した。日頃の運動不足がたたりはじめは苦しかったが、だんだんペースが掴めて歩くのが楽しくなった頃、コロナで中断。意志薄弱にもお江戸に着かぬまま止めてしまった。その間には、くだんのかわいい揚羽蝶が道連れになったこともあったし、鈴鹿峠では珍しい山蛭にも目を見張った。のんびりと歩けるツアーがあればまた参加してみたいと思っている。

季節によせて Vol.647   令和6年6月15日 
身ほとりに日の斑ちりばめ錦鯉     晶 
 真鯉は季語ではないが、緋鯉、色鯉、白鯉、錦鯉は夏の季語である。真鯉は黒くて見えにくいからかと思っていたが、熱帯魚や金魚のように涼を呼ぶ観賞魚であることから夏の季題となったようである。たしかに観光地などの川でゆったりと泳いでいる姿は涼しげである。高山での句であろうか、

朝市の映れる川に緋鯉飼ふ(泉春花)

周防とや緋鯉の水に指濡らし(飯島晴子)*合本俳句歳時記(角川書店)

ここ周防緋鯉の水に指ぬらし(「春の蔵」飯島晴子)*角川俳句大歳時記

人の立つ明るき方へ錦鯉(日原傳)


季節によせて Vol.646   令和6年6月8日 
老鶯や岩間を水のすりぬけて     晶 
  老鶯は「ろうおう」と読む。老いた鶯というのではなく、夏になっても鳴いている鶯のことである。例年だと夏になると繁殖のために山に上がって鳴くのだが、今年は私が住んでいるあたりでも庭近くでまだ鳴いている。習性が変わったのか、開発が進んで行き場所を失ったのか町中の茂みを探して居続けているようだ。

老鶯や球のごとくに一湖あり(富安風生)

老鶯の声の一滴ゆきわたり(金原知典)

乱鶯のこゑ谷に満つ雨の日も(飯田蛇笏)

老鶯は「夏うぐいす・乱鶯」とも詠まれる。


季節によせて Vol.645   令和6年6月1日 
樹の洞に土の匂や蚊喰鳥     晶 
  蚊喰鳥(かくいどり)とは蝙蝠(こうもり)のこと。「かはほり」とも言い、夜行性で屋根裏や岩窟、樹の洞などに棲息している。テレビで後肢で止まってぶら下がっている映像をよく見る。映画の影響から不気味な印象だが、実際は多くの種類が食虫性で蚊などを捕食して食べているそうだ。飛ぶので鳥類と思われがちだがれっきとした哺乳類。初夏に23匹の子を産むのだそうだ。

蝙蝠や昼も灯ともす楽屋口(永井荷風)

蝙蝠の黒繻子の身を折りたたむ(正木ゆう子)

見失つてはかはほりの増ゆるなり(加藤かな文)

季節によせて Vol.644   令和6年5月25日 
目鼻より声の潤みし子鹿かな     晶 
  今年も奈良公園で鹿の子が生まれたと先日ニュースで見た。どんな獰猛な動物でも生まれたては等しくかわいい。それが潤んだ目の子鹿ならなおさらである。甘えた声で鳴きながら母鹿のあとをついて歩く姿はなんとも微笑ましくしばし見とれてしまう。しかしながら近年は里山の荒廃で人家近くにも鹿が出るようになったと聞く。棲み分けがうまくできるとよいのだが。

森深く月さしてゐる鹿の子かな(西嶋あさ子)


季節によせて Vol.643   令和6年5月18日 
生り年とひと目でわかる袋掛     晶 
  桃や葡萄、枇杷などの果実を病気や鳥及び虫などの外敵から守るために紙袋をかぶせる作業を袋掛といい、日本独自の技術だと聞きます。まだ果実ともいえないような青いものに一つ一つ袋をかぶせて行く作業は体にも負担がかかる根気のいる作業でしょう。見た目の美しい商品価値の高い作物を追い求めてだけではない愛情を感じる作業です。

・まだ形なさざるものへ袋掛(片山由美子)

・朝の日を包んでやりぬ袋掛(陽美保子)

・袋掛け一つの洩れもなかりけり(鮫島春潮子)

・生まじめな顔あらはるる袋掛(井上康明)


季節によせて Vol.642   令和6年5月11日 
湖畔へと続く白樺風薫る     晶 
  見落としそうな木の道標に沿って進むと白樺越しに湖面の輝きが見えた。

どこかに咲く甘い花の香りも風にのってただよってくる。芽吹きに心躍らせていたのにあっというまに新緑の季節。風薫るは木々の緑の香りを運ぶ心地よい風。和歌では春風の意味であったが、俳諧では初夏の風。薫風と使われることも。
・海からの風山からの風薫る(鷹羽狩行)
・風薫る森にニーチェを読みに行く(遠藤若狭男)
・押さへてもふくらむ封書風薫る(や染藍子)


季節によせて Vol.641   令和6年5月5日 
ひと振りに薪の割れたる立夏かな     晶 
  二十四節季の一つで56日頃にあたる立夏。夏立つ、夏に入る、夏来る(きたる)、夏来(なつく)という傍題があり、活気に満ちた季節の到来を思わせる。

竹筒に山の花挿す立夏かな(神尾久美子)
夏に入る束ねて投げる纜も(廣瀬町子)
夏に入る硝子のペンで書く手紙(山田佳乃)
夕風に土の匂ひや夏来る(吉田茂子)
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ(石田波郷)
いずれも清々しい景。


季節によせて Vol.640   令和6年4月27日 
放流のブザー八十八夜寒     晶 
  立春から数えて88日目、だいたい52日頃が88夜。夏に向けて植えた野菜や花の苗も順調に育つ頃だが朝晩はまだ暖房が欲しい日もある。また、八十八夜の別れ霜といわれるように霜の被害もあるようで、この辺りの茶畑でも霜よけ扇風機(?)が回っていたり黒いネットが張ってあるのを見かける。
・音立てて八十八夜の山の水(桂信子)
・山の湯に膝抱き八十八夜かな(木内彰志)
・海に降る雨の八十八夜かな(大石悦子)

季節によせて Vol.639   令和6年4月20日 
養生のロープ解かれて春の芝     晶 
  冬の間、ずっと養生中ですとロープが張ってあった芝生が青々と美しくよみがえった。子供や犬が自由に走り回っているのを見ていると一緒に駆け回りたくなる。「真中に雀一羽や春の芝(高浜虚子)」「若芝に手を置きて手の湿り来る(有働亨)」「若芝にノートを置けばひるがへる(加藤楸邨)」「春の芝」は「若芝」の傍題。「芝青む」とも。

季節によせて Vol.638   令和6年4月13日 
船下りしここち藤棚くぐり抜け     晶 
  各地に藤の名所があるがどこも棚をしつらえその下を歩けるようになっている。野田藤と山藤の二種類があり野田藤は花房が長く山藤系は房が短い。藤色と言われるくらいほとんどは薄紫色。たまに見かける白藤は山藤の園芸種で香りが強い。
「白藤や揺りやみしかばうすみどり(芝不器男)」
「藤棚や水に暮色のいち早く(押野裕)」

季節によせて Vol.637   令和6年4月6日 
堰口へ水の押し寄せ花筏     晶 
  「花筏」という植物もあるが、これは桜の花びらが散って、水面を重なって流れる花びらを筏に見立てたもの。花筏は水面全面を覆うような広範囲のものではなく組んでは解ける程度に花びらが重なっている状態。

「一片のまた加はりし花筏(上野章子)」
「花筏水に遅れて曲がりけり(ながさく清江)」




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