釈迦入滅の日と言われる旧暦2月15日の法要が涅槃会。現在では3月15日前後に行われることが多く涅槃像や涅槃会を拝し遺徳を偲ぶ。涅槃像のお釈迦様は目は閉じていらっしゃるが、横向きなので大きなお耳が印象的であった。
・座る余地まだ涅槃図の中にあり(平畑静塔)
・涅槃図の近づきすぎて見えぬもの(駒木根淳子)
「春の泥」とは「春のぬかるみ」のこと。雪解けや霜柱などが解けて生じるぬかるみに足をとられた経験は誰にもあるだろう。日差しがまだ弱い春先は日向でも乾きが悪く泥濘を避けるように歩いたつもりでも裾には泥はねが…。
・春泥のふかき轍(わだち)となり暮るる (金子麒麟草)
・春泥の道にも平らなるところ(星野高士)
・春泥のもっとも窪むところ照り(山西雅子)
今では火鉢を使う家は少ないと思うが古い家ではまだいくつか残っていると思う。田の字型の昔の家ではどの部屋にも桜が咲くころまで火鉢があったように記憶する。尉とは炭が燃えて白く灰になったもの。炭をつぎ足すこともない昼間の春火鉢。
・生前にくはしき人と春火鉢(鷹羽狩行)
・坐りたる所に遠く春火鉢(星野立子)
茹でた蓬の葉を搗き込んだ蓬餅は春が来たことを香りで実感する。昭和の初めに先代店主が自ら摘んだ蓬で搗いた蓬餅は評判を呼んで午前中に売り切れてしまうほどだった。産毛が残るような蓬の若葉に臼も杵も緑に染まっていた。。
・草餅を焼く天平の色に焼く(有馬朗人)
・夜は雨といふ草餅の草のいろ(岡本眸)
・ちよつとだけ供へ草餅頂きぬ(北村仁子)
野焼、野焼くは害虫を駆除するための夜土手などの枯れ草を焼き払うことで、野焼きをしたあろの野を焼野とか末黒野という。
・野を焼くやぽつんぽつんと雨至る(村上鬼城)
・野を焼けば焔一枚立ちすすむ(山口青邨)
山焼く・畑焼く・畦焼くも同類の季語
「春寒し」は立春後の寒さの事。余寒と同じであるがすでに春になった気分が強いとある。
春寒の闇一枚の伎芸天(古館曹人)
・大き鳥きて止りけり初景色(永田耕一郎)
・初景色川は光の帯として(宮本径考)
・三輪山へ畝のびのびと初景色(田中春生)
・船の丸窓の中なる初景色(牛田修嗣)
・葛飾は男松ばかりの淑気かな(能村登四郎)
・観音の頤仰ぐ淑気かな(森澄雄)
・冷泉流披講のあとの淑気かな(鷹羽狩行)
・闇ぬけて立つ山脈の淑気かな(井上康明)
・なめらかに煙伸びゆく焚火かな(阿波野青畝)
・色々のてのひらのある焚火かな(塩田博久)
・焚火跡暖かさうに寒さうに(後藤比奈夫)
・落葉焚空をけぶらす遊びして(手塚美沙)
・綿虫の双手ひらけばすでになし(石田あき子)
の句のように、捕まえようとしても捉えどころがない。
本格的な冬が来る前に用意しておいた薪のあたりにも青白い光を負った雪ばんばが飛んでいる。
・かいつぶり浮かび横顔見せにけり(宮津昭彦)
のように潜ってはどこに現れるのか、神出鬼没なところも魅力である。 *鳰:ニオ(カイツブリ)
・蟷螂の眼の中までも枯れ尽す(山口誓子)
・蟷螂の枯れゆく脚をねぶりをり(角川源義)
・蟷螂の六腑に枯れのおよびたる(飯田龍太)
・道に出たがる晩菊をひと括りせり(山田みづえ)
山田氏の晩菊もすっくとは立ってなさそうだ。
・この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (三橋鷹女)
・大津絵の鬼が手を拍つ紅葉山 (桂信子)
・乱調の包み鳴り来よ紅葉山 (木内怜子)
など激しい句もあるが
・障子しめて四方の紅葉を感じを (星野立子)
静かな紅葉狩もよい
・いつさいの力を抜かれ蒲の絮(藤田湘子)
・蒲の絮雨の向かうに日射しあり(竹田秀治)
・海山の神々老いぬ蒲の絮(田中裕明)
・くだけ落つ蒲の穂わたのはなやかに(星野立子)
・一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月 (芭蕉)
・萩に手をふれて昔の如く訪ふ (深見けん二)
・萩散つて地は暮れ急ぐものばかり (岡本眸)
・城にみな昔のありて萩の花 (片山由美子)
・白萩の雨をこぼして束ねけり (杉田久女)
・蓑虫の父よと鳴きて母もなし(高浜虚子)
・蓑虫のあやつる糸のまづ暮れぬ(木津柳芽)
・蓑虫の蓑あまりにもありあはせ(飯島晴子)
・草にある午前のしめり秋の蝶(鷲谷七菜子)
・我が影の伸びゆく先の秋の蝶(星野椿)
・逢はざればこころ離れて秋の蝶(三森鉄治)
・ひぐらしの幹の一本づつ奥へ(鷹羽狩行)
・かなかなや掬へば消える海の青(対馬康子)
・たちまちに蜩の声揃ふなり(中村汀女)
紙切つて鋏おとろふ残暑かな(片山由美子)
吊皮に手首まで入れ秋暑し(神蔵器)
わが影の踏まれどほしに街残暑(田村正義)
おもしろうてやがてかなしき鵜飼かな(芭蕉)
鵜飼見る紅惨のこの絵巻物(鷹羽狩行)
疲れ鵜の喉のふるへのをさまらず(浅井陽子)
夕影を待てるがごとき鵜籠かな(後藤夜半)
鵜松明川面の闇を切りすすむ(鷲谷七菜子)
塔ばかり見えて東寺は夏木立(一茶)
門ありてただ夏木立ありにけり(高浜虚子)
また雨の太き糸見え夏木立(星野立子)
四五本の夏木が影をひとつにす(谷野予志)
・やがて死ぬけしきは見えず蝉の声(芭蕉)
・これもこれもこれもさうなり蝉の穴(高田風人子)
・蝉時雨もはや戦前かもしれぬ(摂津幸彦)
・兜虫摑みて磁気を感じをり(能村研三)
・兜虫一滴の雨命中す(奥坂まや)
子供が角に糸をつけて物を曳かせて遊んだりすることから、
・ひつぱれる糸まつすぐや甲虫(高野素十)
朝市の映れる川に緋鯉飼ふ(泉春花)
周防とや緋鯉の水に指濡らし(飯島晴子)*合本俳句歳時記(角川書店)
ここ周防緋鯉の水に指ぬらし(「春の蔵」飯島晴子)*角川俳句大歳時記
人の立つ明るき方へ錦鯉(日原傳)
老鶯や球のごとくに一湖あり(富安風生)
老鶯の声の一滴ゆきわたり(金原知典)
乱鶯のこゑ谷に満つ雨の日も(飯田蛇笏)
老鶯は「夏うぐいす・乱鶯」とも詠まれる。
蝙蝠や昼も灯ともす楽屋口(永井荷風)
蝙蝠の黒繻子の身を折りたたむ(正木ゆう子)
森深く月さしてゐる鹿の子かな(西嶋あさ子)
・まだ形なさざるものへ袋掛(片山由美子)
・朝の日を包んでやりぬ袋掛(陽美保子)
・袋掛け一つの洩れもなかりけり(鮫島春潮子)
・生まじめな顔あらはるる袋掛(井上康明)
どこかに咲く甘い花の香りも風にのってただよってくる。芽吹きに心躍らせていたのにあっというまに新緑の季節。風薫るは木々の緑の香りを運ぶ心地よい風。和歌では春風の意味であったが、俳諧では初夏の風。薫風と使われることも。 ・海からの風山からの風薫る(鷹羽狩行) ・風薫る森にニーチェを読みに行く(遠藤若狭男) ・押さへてもふくらむ封書風薫る(や染藍子)
竹筒に山の花挿す立夏かな(神尾久美子) 夏に入る束ねて投げる纜も(廣瀬町子) 夏に入る硝子のペンで書く手紙(山田佳乃) 夕風に土の匂ひや夏来る(吉田茂子) プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ(石田波郷) いずれも清々しい景。
「一片のまた加はりし花筏(上野章子)」 「花筏水に遅れて曲がりけり(ながさく清江)」