今までの俳句
令和1(平成31)年度

季節によせて Vol.430   令和2年3月28日 
声のごとくに粉こぼれ鶯餅     晶 
 当地に越してきて一年ほどしてお茶の稽古を再開した。近所の方のご親戚という情報だけで伺ったが快く入門を許され、楽しくお稽古させていただいた。点前の手順だけでなく道具の扱いや取り合わせなど教えていただが、私たちの一番の楽しみはお菓子だった。普段のお稽古のお菓子も季節に合ったものを用意してくださるが、お茶会の時には特に心を配られ、何度か取り寄せては試食するという至福の時をすごした。

季節によせて Vol.429    令和2年3月21日 
洗礼のズボンに跳ねて春の泥     晶 
 夫の実家の隣が教会なので、帰省した折には正月や日曜の礼拝に通う人をよくお見かけする。そこに住まわれる牧師さんたちも転勤?があるようで何度かお引っ越しもあったと義母に聞いたことがある。どの方も気さくな牧師さんご一家だったらしく、信者ではない隣人にも料理を教えてくれたりクリスマスに招いてくださったようだ。以前、誰も気づかぬうちに抜け出していた犬をお宅のワンちゃんでしょうかと牧師さんの奥さんが首輪の帰省先の住所を見て連れてきてくださったことがある。まさに神の御導きと感謝した。

季節によせて Vol.428    令和2年3月15日 
まだ指になじまぬ小筆春寒し     晶 
 記録的な暖冬の今年はついに雪を見ないまま春になってしまった。豪雪地帯では時に白魔とよばれるほど雪が何もかも覆いつくしてしまうのだそうだから、住むところによって自ずと雪のイメージは異なってくるだろう。私が住む辺りではいわゆる爆弾低気圧が太平洋沿岸を通過するとき時ならぬ春の大雪を降らせることがある。とはいえ、厚い雲越しでも光はすでに明るく積もった雪も見る間に溶け出す。雪が降ろうとも光の春である。

季節によせて Vol.427    令和2年3月7日 
まだ指になじまぬ小筆春寒し     晶 
 亡くなった父の部屋を片付けたときのこと。入院の一か月前まで趣味の習字を楽しんでいたので筆架には愛用の筆が吊るされ、筆立てにはやや毛先の荒い大筆や竹筆が立てられ、抽斗には未使用のままの筆が眠っていた。豪快な文字も書いたが、一字違っても始めから書き直さねばならない「千字文」。根を詰めて書いていた姿が思い出された。

季節によせて Vol.426    令和2年2月29日 
後ずさりしながら鬼の豆を打つ     晶 
 今年は近くの天神さんの追儺(なやらい)へ行き、家での豆撒きを省略した。そういえば、近所に小さな子供が少なくなったせいか豆を撒く声をとんと聞かない。三十年ほど前、おじいちゃん扮する鬼におっかなびっくりで豆を撒いていた子供たち。二、三日してまだこんなところに残っていたのかという豆を掃除機が吸い込んだ音が耳の奥でよみがえった。

季節によせて Vol.425    令和2年2月22日 
寒鯉の窮屈さうに身じろげり     晶 
 同じ池の水でも真冬の水はどこか重そうに感じる。表面に氷が張ったりするとその下の水はぴたっと閉じ込められて寒天かゼリーで固められているようにさえ思う。水中深くじっとしている鯉がじわじわと体を捩るように」向きを変えたりするのを見かける。鯉は冬眠はしないそうだが動きはさすがに超スローモー。寒中の鯉は滋養に富み美味ということだ。

季節によせて Vol.424    令和2年2月15日 
被せ藁のなかの日だまり寒牡丹     晶 
 「寒牡丹」という品種があるわけではない。観賞用として、わざわざ寒い時期に咲くように栽培された牡丹を寒牡丹または冬牡丹という。牡丹は初夏と初冬の二期に咲く性質があるらしく、初夏に咲く蕾を摘み取って冬だけ咲かせるようにしたもの。一本一本藁で囲むように覆ってその中で蕾を育てて花を咲かせる。花の少ない時期、初夏のものより小ぶりながら艶やかに咲く牡丹を見に行くのもこの時期の楽しみ。

季節によせて Vol.423    令和2年2月8日 
空腹を覚えて目覚め寒の明け     晶 
 春が立ち、三十日間の寒が開けることを寒明けという。だいたい二月四日,五日ごろ。立春の前日が節分で現在は冬と春の境を言う。寺社では邪気を追い払い春を迎える追儺式が行われ、各家でも豆を撒いたり鰯の頭や柊の枝を戸口に挿したりして鬼を祓う習慣が残っている。立春はまさに二十四節季七十二候の最初の節季。

季節によせて Vol.422    令和2年2月1日 
鷽替へて少し寄り道してもどる     晶 
17日に福岡県の太宰府天満宮で行われていた神事が東京亀戸天神や。全国の天神様で行われるようになった。袋に入った鷽を手にして「替えましょ、替えましょ」と唱えて互いに交換する。「昨年の凶事を嘘にして、今年の吉に鳥替える」意味だそうだ。12個あるという金製の鷽にあたればその年は幸運が授かるというもの。最後に鳥替えたものが吉と出るか、袋を開ける時がドキドキするというもの。

 *鷽(ウソ):鳥の名


季節によせて Vol.421   令和2年1月25日 
巻藁に混じるさみどり弓始     晶 
 弓始は新年に初めて弓を引くこと。もともとは宮廷行事であったが後に鎌倉幕府や室町幕府にもとりいれられた。戦国時代には途絶えていたが、江戸時代、徳川八代将軍吉宗により再び始められた。6本の矢が全部命中すると時服(夏冬の衣服)が天皇や将軍から下賜されたそうだ。現在では神社や各道場などで弓始の行事が行われている。
註:巻藁(まきわら)は藁を巻き束ねたもの。弓の練習の的などに使用するもの

季節によせて Vol.420   令和2年1月18日 
艶消しの硝子のごとき風邪ごこち     晶 
 このところの急な寒さでマスクをする人がふえた。どうしてもしないといけないこともないので、背中がぞくぞくしたり鼻水が出はじめたりというときは家人には申し訳ないが早めに自分の部屋に撤収させてもらっている。熱が出そうなときは私の場合だが、まず指の感覚がかわる。指がなんだか太くるような感じがするのだ。そのあとは喉が傷み頭痛がしてくるという順番。年末年始の準備で気ぜわしいときだが、湯冷めなどしないようさっさと退散しよう。

季節によせて Vol.419   令和2年1月11日 
噴き口を見せ噴水も枯れるもの     晶 
 水の音とは不思議なもので季節によって感じ方が異なる。春先のちょろちょろと走る水音や夏の川の音は涼しく心地よく聞こえていたのに、このところの寒さもあってか、小さな堰を落ちるかすかな水の音さえ寒々しく感じる。冬でもイルミネーションで彩られた噴水もあるが大方の噴水は水栓を固く閉じ噴き口だけが見えているのもうなずける。枯れつくした公園に会って噴水まで枯れているように思えた。

季節によせて Vol.418   令和2年1月4日 
箸使ひ上手になりてお年玉     晶 
 スプーンで口に運ばれていたと思ったら自分でスプーンを使うようになり、そのうち、まがりなりにでも箸を持ち、突いたり散らかしたりしながら自分で食べるようになった。ぎこちないけれども何でも「自分で」やりたがる年ごろ。この時期の知恵や発達は目をみはるばかりだ。お箸が上手に持てるようになったらねと約束したお年玉、今年からはママ経由ではなく直接本人に手渡すとしよう。

季節によせて Vol.417   令和1年12月27日 
笹鳴きの藪浅からず暗からず     晶 
 夏、山中で繁殖期を過ごした鶯は秋の終りには再び里近くに降りてきて春まで平地の樹木や笹の間を縫うように飛び移りながら花の蜜を吸ったり木に付いた虫を食べて過ごす。枯色に紛れてなかなか姿を目にすることは難しいが藪の中でチャッチャツと声がすれば鶯だと思って間違いない。ガサガサッと音がする方に目を凝らすと運が良ければ姿を見ることができるかも。その地鳴きを笹鳴きと言う。また、冬の鶯のことを笹子ともいうが鶯の子供ではなく、接尾語の「子」ではないかと思う。

季節によせて Vol.416   令和1年12月21日 
日の高きうちに戻りて浮寝鳥     晶 
 1221日頃が一年中で最も太陽の位置が低くなり昼間の時間も短いといわれる冬至。北欧では燃える円盤(太陽を象徴するもの)を転がし冬至のダンスをするそうだ。日本では陰暦を採用していたころは旧11月下弦の日をもて冬至として、この夜は一陽来復をもたらす神様が村々に訪れるといわれてきた。昼を過ぎて雲や風が出てくるとにわかに寒さがまし、気ぜわしさに拍車をかける。今年もあと何日と数えるほどしか残っていない。

季節によせて Vol.415   令和1年12月13日 
煮凝りや日よりも高く昼の月     晶 
 煮凝りはゼラチン質の多い魚や肉などの煮汁が冷えてゼリー状に固まったもの。料理用のゼラチンにだし汁を加え煮凝り風にすることもあるが、一般には魚の煮汁などが鍋で冷えると自然に固まり煮凝りになる。これを翌日、熱いご飯にのせてたり、鍋を火にかけ温め直すと味が良くしみてうまさが増すという。生臭さが気になる向きにはしょうが汁を加えることをお勧めする。

季節によせて Vol.414   令和1年12月7日 
温室の汚れや香り強すぎて     晶 
 花ばかりでなく野菜や果物もビニールハウスでの栽培が当たり前になっているため、季節に関係なく野菜や果物が食卓に並ぶことも珍しくない。しかも、味や香りも遜色ないとなればその野菜の本当の季節を知らぬまま子供たちは大きくなるかもしれない。温室の代表格は植物園の熱帯植物園のブース。寒い日本でも快適に生育できるよう温度を保たれているため窓ガラスにはおびただしい水滴がつき、植物の匂いでむんむんしていて日本に居ながらにして熱帯雨林にいる気分を味わえる。

季節によせて Vol.413   令和1年11月30日 
入港の帆船しぐれ雲連れて     晶 
 11月になっても台風がいくつも発生するというおかしな気象だったがようやく冬らしい冷え込みになって来た。朝晩、散歩をしている人たちの服装も毛糸の帽子をかぶったり手袋やマスクをして体を冷えから守る対策をしている。この時期の散歩で一番悩ましいのが時雨。晴れていたかと思えば突然暗くなって雨が降り出す。長くはなく地域も限定的なのでどこかで雨宿りをしていればじきにやむ。これは帆船の入港を待っていた時の一句。

季節によせて Vol.412   令和1年11月23日 
薄皮の張りつめてゐる熟柿かな     晶 
 柿は東アジア温帯の固有の植物で、日本には奈良時代に中国から渡来したそうだ。形は様々だが、甘柿と渋柿に分けられ、渋柿は干したり焼酎などで渋を抜いて食べる。熟柿は完熟の柿のこと。甘みが強く柔らかいので、追熟を待ってナイフで半分に切り、スプーンでいただく。種の回りはゼリーのようにぷるんとして固い柿とはまったく別物の触感。木熟の方が甘みは強いが鳥につつかれるリスクも大いにある。

季節によせて Vol.411   令和1年11月16日 
蟷螂の待ち伏せ鎌を胸に抱き     晶 
 青緑色の蟷螂(カマキリ)が寒くなると褐色になるのかと思っていたら褐色は蟷螂は初めから褐色で別の種類らしい。三角の頭の左右の頂点に複眼があり、目の前に動くものがいると前脚の鎌で捕食する。気が強く、自分より大きなものにも鎌を振り上げることから、鎌を斧などともいう。交尾が終わると雌が雄を食い殺す習性があるそうだ。一身を投げ出す覚悟がなければ雄は子孫を残すことができないという自然界の厳しさを垣間見た。

季節によせて Vol.410   令和1年11月9日 
脇役の方が見頃の菊人形     晶 
 菊人形とは、菊の花や葉で細工を施したもの。今では全国各地で見られるが、江戸染井の植木職人が手慰みで始めた花壇菊が、大阪で歌舞伎役者の等身大の菊人形となって広まったのだそうだ。今ではテレビの大河ドラマや芝居の場面を菊人形に仕立てるのも珍しくない。同じ菊を着せてはいるが、そこは植物のこと。主役の姫君より腰元の人形の方が花付きが良く咲きそろっていることも。臈たけてみえる腰元に目が行くのも仕方のないことか。

季節によせて Vol.409   令和1年10月31日 
種採りて命預かりたるここち     晶 
 今まで野原や庭で十分に楽しませてくれていた花々もいつのまにか、からからに乾いた花柄になってその中には黒や茶色の種がぎっしり詰まっている。手でしごいたり、花柄を揉むとそれはそれは小さな種。面白いように採れるので採ってはみたもののどこに撒くというあてもない。結局、 その辺にばらまいて、はたと気づいた。蒔く時期にちゃんとそれなりのところに撒けばきれいな花が咲いたのにと。それからは必要以上の種は採らないことにした。

季節によせて Vol.408   令和1年10月26日 
鳴るたびに空深くなるばつたんこ     晶 
 添水(そうず)とは、鳥獣を追い払うために水の力で音を出す仕掛け。竹の中央に支点を置き片方に水を引き水がたまるとその重みで傾いて水が流れ出す。竹は軽くなって跳ね返り一端が下に置いた石などを強く打って音を出すという仕組み。鹿威し(ししおどし)とか、ばったんこともいう。この原理を米搗きなどに応用する場合は添水唐臼(そうずからうす)という。

季節によせて Vol.407   令和1年10月19日 
金よりも漆に映えて秋ともし     晶 
 秋ともし(秋の灯)とは秋の夜の灯火のこと。学問や読書にふさわしい秋の灯はひんやりとした夜気のもと清澄な感じさえする。同じ灯火であっても季節によって感じ方が異なってくる。例えば春の灯は暖かで艶やかな印象、暑い夏の灯は夜景など見下ろすときは涼しささえ覚える。反対に寒さの厳しい冬の灯は寒さや寂しさも覚えるが人懐かしさもあるような気がする。春夏秋冬の灯しがあるなら新年の季語で「初灯し」があってもよさそうな気がするが、その季語はない。

季節によせて Vol.406   令和1年10月12日 
棹さして水脈よく伸びる水の秋     晶 
 琵琶湖で水郷巡りをしたときのこと。笹の葉のような川舟で芦原の間を進み、鳥の巣や筌を沈めてあるところなどを見せてくれた。水面と同じ高さに座っているため竿を操る音や舟の軋む音、また波の音がとても近くに聞える。棹で一押しすると川舟はすぐに応えて滑るように進む。その水脈のなんとよく伸びることか。滑ると滑らかの文字が同じ漢字であることを不思議と納得した。

季節によせて Vol.405   令和1年10月5日 
雑踏の流れゆるやか鰯雲     晶 
 夏休みも終わり世の中が普段通り動きだした。朝の通勤通学で混み合う電車や道路、買い物客などでにぎわうデパートや地下街をテレビで見るたび、人に左右されずに自分の歩幅で歩けるこの町の緩やかな暮らしを嬉しく思う。秋の空にはさまざまな形の雲が現れどれも美しく見飽きないが、中でも一番好きなのが筋雲、巻雲と呼ばれる雲。

季節によせて Vol.404   令和1年9月28日 
同じ縞二つとはなき西瓜かな     晶 
 父がお盆に帰省する私たちのために西瓜を作ったことがある。といっても、苗を買ってきて花畑に植えたもの。苗が良かったのか、花畑で作ったとは思えぬほど実に甘くて美味しい西瓜だったと記憶している。実はなっても収穫どきを外してはと、毎日水やりをしながら蔓の枯加減で見ていたそうで、中が空洞にもなっておらず、こういうのをビギナーズラックっていうんだねと皆で美味しくいただいた。

季節によせて Vol.403   令和1年9月20日 
散り初めていよよ枝垂るる柳かな     晶 
 柳は人々の暮らしに古くから関わってきたのであろう。春の芽吹き(柳の芽・柳・柳絮)、夏(葉柳、夏柳)、秋(柳散る)、冬(枯柳)、新年(掛柳)と、一年を通して親しまれている。水辺でゆったりと緑の枝を揺らしていた夏も過ぎ秋風が吹くようになると抜け落ちるように葉が散っていき張りがあると思っていた枝もしぼんだような感じに見える。枝垂れ加減は変わらないと思うのだが季節で見え方が随分違うものだ。

季節によせて Vol.402   令和1年9月14日 
白桃を水の窪みに冷やしをく     晶 
 近くに桃の生産地があって、市場には出せない規格外品の桃が安く手に入る。規格外の桃とは言え、やや硬めのものでも追熟させれば十分美味しくいただける。そこは選果場なので、もちろん薄紙にくるまれ贈答用の紙箱に入ってよい匂いのしている桃もあるがやはりそれなりのいいお値段。触っただけでも傷みやすい桃。桃自体の重力で底が傷む。出しっぱなしの井戸水にぷかぷか浮かべて冷やした桃が一番おいしい。

季節によせて Vol.401   令和1年9月7日 
長椅子を布もて覆ひ避暑期果つ     晶 
 避暑の時期だけでなく最近の軽井沢はいつ行っても観光客(日本人だけでなく外国人観光客も少なくない)でごった返している。ガイドブック片手に街歩きを楽しむ若者グループ、企業などの所有する保養地や旅館で休暇を楽しむ家族は、一目で短期滞在者とわかる。だいたい別荘に住んでいる人たちは観光客が集まるようなところへは近づかないだろう。別荘暮らしは望むべくもないがせめて雰囲気だけでも味わいたい人のために貸別荘というのも昨今流行りのようである。

季節によせて Vol.400   令和1年8月31日 
変はらざる山河けぶらせ魂迎へ     晶 
 門口などで苧殻を焚い.て精霊を迎えることを魂迎えというが、地方によってお迎えの仕方は異なるようだ。私の実家の方では、新しい仏様の場合はお墓までお迎えに行って苧殻ではなく竹を燃やす。竹の節がパンパンと大きな音を立てて燃えると仏さまが返ってきてくださったという合図だとか。鳴らなかった場合は?と聞くと、おばあさんの頃はもう一年お墓までお迎えに行ってまた竹を鳴らしたそうだけど、この頃は鳴ったことにするんだと叔父が笑った。

季節によせて Vol.399   令和1年8月24日 
朝顔の星あるうちに緩みそめ     晶 
 はじめは薬用として中国から渡来し、「源氏物語」や「枕草子」にも登場してそのころから二羽にも植えられて夏の朝の風物詩として欠かせない花になっている朝顔。日の出前から咲き始め10時にはしおれてしまう花だが、最近は西洋朝顔との交配によって午後まで咲いているものもある。西洋朝顔は葉がハート形をしていてよく茂るので日よけとして重宝されている。芯が白いヘブンリーブルは涼しくなるころが満開になる涼しげな西洋朝顔。

季節によせて Vol.398   令和1年8月17日 
白日傘閉づも開くも下向けて     晶 
 舞妓さん、芸子さんといえど、この暑さのなかで日本髪を結って着物を着るのはさぞかし大変なことであろう。汗かきの私などは想像しただけで汗が噴き出す。しかし、一流の芸子さんたちになると汗を見せるどころか涼しい顔であの暑い京都の路地を歩いている。所作と言い身のこなしと言い、清涼感さえ感じるほど。何かまねできるようなことはないかと思ってじっと見ていたら日傘を下に向けて静かに閉じられた。その一連の所作のなんと涼やかでかっこよかったことか。

季節によせて Vol.397   令和1年8月10日 
波に合はせて水母のくつがへる     晶 
 魚を獲る漁師さんたちに水母(クラゲ)は厄介者。引き上げた網に魚以上に水母が入っていたりするとどんなにがっかりすることか。そんな厄介者の水母のコラーゲンを役立てようというベンチャー企業が現れたそうだ。変形性関節炎の治療に使われるヒアルロン酸注射に加えて水母由来のムチンを投与すると効果も上がるとか。まだまだ研究の段階かもしれないが膝の悪い私などは大いに期待している。そんなこととはつゆ知らずのんびり浮かんでいる水母である。

季節によせて Vol.396   令和1年8月2日 
急流が強め中洲の草いきれ     晶 

記録的な日照不足と集中豪雨で日本のいたるところで農作物に被害が出ていると聞く。氾濫した川が田畑に流れ込んだり、流れそのものが変わってしまったところもあるとか。中州は土砂が堆積して平らな島のようになっているところ。大水の影響を最も受けるところだが、長年のうちに灌木が生えたり流れ着いた倒木が根付いてちょっとした茂みを作ったりして。野鳥にとっては雛を育てるには好都合の場所かもしれない。


季節によせて Vol.395   令和1年7月27日 
手庇に待てる帰帆や海紅豆     晶 

 二日がかりで日本を縦断した低気圧の余波で今だに強い西風が吹いている。海のレジャーを楽しむ人にとっては飛んだお騒がせ低気圧だったろう。ところで、ヨットハーバーが提供する天気予報には実況、24時間後、48時間後の気圧配置とともに風向きはむろんのこと、潮汐、波シミュレーター、沖合の波、海水温、潮流など海に関する情報が豊富。申し込めばヨットに試乗体験もさせてもらえる。好奇心旺盛な子供たちを乗せて波穏やかな辺りを帆走してくれるのを手庇の中で見守る。

*手庇:てびさし、帰帆:きはん、海紅豆:かいこうず


季節によせて Vol.394   令和1年7月13日 
大釜の静まりかへり蟻地獄      晶 

 透明に近いような細い翅(はね)で脚もか細く弱弱しい飛び方をするウスバカゲロウ、その幼虫がアリジゴク。体長約一センチで灰褐色の体に棘(とげ)と大きな顎を持つ。雨の当たらない縁の下などの砂地にすり鉢状の穴を作りその底に潜んで獲物を待ち、落ちてきた昆虫類をとらえて体液を吸収するという。そのすり鉢状の穴を抜け出せない地獄にたとえたのが語源だが、地上に出してみるとあとずさりばかり。名前ほど強気の虫ではないのかも。


季節によせて Vol.393   令和1年7月13日 
羽箒の羽先を撫でて愛鳥日      晶 

つい先だってまでは水辺が眩しく照り返していたのに、いつの間にか川の流れさえ見えないほど蘆(あし)が生い茂っている。蘆だけではない、土手一面、足を踏み入れるのがためらわれるほどの雑草。昭和天皇が雑草という名の草はないとおっしゃったが、確かに目を引くような花をつける草草も。「あれは何?」という声の方へ目を向けるとヌートリア。いるはずのない動物が水の中から顔を出している。飼われていたのが逃げ出したか、飼えなくなって放たれたか、水辺の生き物の世界も騒がしい。
 *行々子:ぎょうぎょうし


季節によせて Vol.392   令和1年7月6日 
羽箒の羽先を撫でて愛鳥日      晶 

 茶道では座を清める意味で席入り前や中立の後、また、炉の茶事では初炭の後に座箒(ざぼうき)で座掃きを行います。その時の箒が白鳥や鶴、鴻の羽。白鳥ならば右羽、鶴は片羽、鴻ならば双羽を使用し、手元は竹の皮で包まれています。作法通りにスマートに掃くというのはなかなか難しくて修練のいるところ。現在は天然記念物の鳥なので新しい羽を用いた羽箒(はぼうき)などはあまりなく古いものを大切に保管して使っているのが現状。貴重な羽で作られる羽箒、次の代へ引き継げるよう大切に扱いたいものです。


季節によせて Vol.391   令和1年6月29日 
豆植えて丘のうねりのつまびらか      晶 

 一般的に勾配のある地面の耕作の場合、ある程度平らにならし段差をつけて田畑に作るのが一般的。ゆえに、能登の千枚田や祖谷の段々畑など一枚一枚が狭い斜面の田畑での作業は今でも手仕事に頼るしかない。かたや、広大な北海道では平らにさえすれば田畑を上へ上へと積み上げる必要もない。水はけのよい土地に育つ作物にとっては起伏をそのまま活かした栽培法の方が適しているともいえる。大型の農業機械が車体を傾けながら豆を蒔き、苗を植え、麦を刈り取っていく。「北海道はでっかいどう」というコマーシャルがあったが、何事もスケールが大きい。


季節によせて Vol.390   令和1年6月22日 
疲れ鵜の篝明かりを逸れて浮く      晶 

 暗闇の中から篝火を先立てて下ってくる鵜飼は文句なく見ごたえがあるが、どちらかといえば昼間の方が出やすい者にとっては昼の鵜飼というのもありがたい。明るいところで鵜飼の説明をしてくれ鵜の働きぶりを見せてくれる。ちょっとしたカルチャー教室のような趣であるが、それでも川下りをしながら弁当を頂き、太陽光の下で鵜が鮎を追いかけたり、引き上げた鵜から鮎を吐かせる様子を見られるのはそれなりに面白い。手縄に引っ張られるように後ろからついて行っているのは今年デビューの鵜だそうでまだまだ修行中ということだった。


季節によせて Vol.389   令和1年6月15日 
麻縄の縒りあまからぬ釣忍      晶 

ウラボシ科のシダ植物の根や茎を束ねて井桁や舟形に仕立てたもので、軒下やや出窓に吊るし、その緑葉の涼しさを楽しむ釣忍(つりしのぶ)。夕立や打ち水のあとなど水滴が滴るのを見るのも涼しげで風情がある。最近は吊るすだけでなく置いて鑑賞する苔玉も人気。こちらは、根や茎を丸く束ねて周りに苔を巻き付け球の形にしガラスや染付などの皿にのせて楽しむもの。住宅事情が変わっては夏の凉の取り方も変わらざるをえない


季節によせて Vol.388   令和1年6月6日 
新茶汲む終のしづくをふつくらと      晶 
江戸幕府が出した「慶安の触書」に大茶を飲み物見遊山の好きな女は離縁してもよいなどという項目があって驚いた覚えがある。記憶違いかもしれないが。私などは新茶が待ち遠しい方なので江戸時代ならばいの一番に追い出されるだろう。お茶屋さんによると、桜の開花の遅いときは新茶が出回るのも遅いのだそうだ。蕾が膨らむころに寒さがぶり返し花が長持ちしたのはよかったが、八十八夜のあとも寒さが残る。茶が届くのが待ち遠しい。

季節によせて Vol.387   令和1年6月1日 
麦秋や南京錠に油差し      晶 

 義父が80代半ばだったか、夫たち兄弟が昔住んでいたところについて尋ねたことがあった。大まかにこんな所だったよという答が返ってくると思っていたところ、それなら描いてみるからと方眼紙に間取りを描いてくれた。義父自身生まれ育った所とは言え、居間や客間などはもとより納戸や土蔵、井戸の位置まで描きこまれていて、その記憶力と精密さには恐れ入った。嫁の私でさえ見入ってしまったのだから、その家で生まれ育った夫達にとってその図は貴重な義父の形見である。


季節によせて Vol.386   令和1年5月26日 
青物にそれぞれのあを五月来ぬ      晶 

スーパーの野菜売り場に並ぶ野菜の品ぞろえがかわって徐々に夏らしく。

そういえば、スーパーなどなかった頃、野菜は青物と呼ばれ、八百屋や青物市場、青果市場で売られていた。決まった曜日に軽トラックで「あおもん、どうで~(青物はどうですか~)」と家の近くまで売りに来る行商の人もいた。有機肥料でお日様いっぱいの畑で育った青菜はどれも瑞々しくしゃきっとしており、灰汁もあったが味が濃かったように思う。子供のころは苦手だった青臭いトマトや胡瓜が懐かしい。

季節によせて Vol.385   令和1年5月18日 
靡くもの翻るもの風光る     晶 
 春になると日が長くなるだけでなく光も強くなって、見るもの動くものがすべて眩しく感じられる。飛び回る蝶々ばかりでなく、すばしこく地面を走る蜥蜴(とかげ)にさえ光を感じる。「春風」「東風」「貝寄風(かいよせ)」「涅槃西風(ねはんにし)」「彼岸西風(ひがんにし)」「比良八荒(ひらはっこう)」「春一番」「桜まじ」「春疾風(はるはやて)」「春北風(はるきた・はるならい)」と春の風を表す季語はさまざまあるが、明るく生き生きとした風をいうなら「風光る」をおいてほかにはないと思う。

 *靡く:なびく


季節によせて Vol.384   令和1年5月11日 
鐘の鳴る方へは寄らず青き踏む     晶 
 踏青(とうせい)とは、春、芽生えた青草を踏みながら野山を散策すること。もとは中国の風習で三月三日に行われることが多く、一般には郊外に墓参した後、酒宴を催したりもしたそうで、その風習が日本に伝わって春の行楽の意味を含むようになったようだ。ところで、ちょっとした丘や高原に行くと必ずと言っていいほど「○○の鐘」というのがある。列なして鳴らす団体客にあったりするとせっかくののどかな気分が台無しだ。

季節によせて Vol.383   平成31年4月27日 
犬の鼻さきに弾けてしやぼん玉     晶 
 野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡「しゃぼん玉」は、雨情の亡くなった子供のために書かれたとも、亡くなった親類の子供への鎮魂歌ともいわれる。生まれた子供が、二、三歳になるまでに亡くなることが珍しくなかった時代。早くに子供を亡くした雨情が、しゃぼん玉で遊ぶ子供を見て、もし生きていればうちの子もという気持ちになってこの歌詞が生まれたという話も容易に想像できる。短い歌詞ではあるが夭逝の子供への思いが込められている。

季節によせて Vol.382   平成31年4月20日 
切妻も寄棟も待ち初燕     晶 
 花見の集まりに誘われ、家の近くを流れる川を20分ほど遡った町へ出かけた。一気に咲くかと思われた桜は思いがけない寒さで一分から二分咲きのまま。火のそばを離れられない花見だったが、飛び交う燕を見かけた。高速道路が開通し、周辺道路も河川敷も随分整備されたとはいうものの、街道沿いには昔ながらのどっしりした瓦屋根が軒を連ねる。新建材で泥がつきにくく軒や廂の少ない家ばかりの新興住宅地などではなく燕が来るのはこんな町なのだと実感した

季節によせて Vol.381   平成31年4月13日 
目の慣れるまでは動かず地虫出て     晶 

「地虫穴を出づ」という季語で、土の中で冬眠していた虫が穴から出てくること。地虫とはカナブンなどのコガネムシ科の幼虫をさすのだが、この季語の場合は他の昆虫や土の中に眠るすべての生物が含まれるとある。冬の寒さから解放された生きもののよろこびが季語の本意のようだ。しかし、長らく暗闇の中にいた虫たちにとってはさすがに春の光は眩しいにちがいない。


季節によせて Vol.380   平成31年4月6日 
鳥雲に端の捲れる備忘録     晶 
 長らく空き家になっていた実家を片づけた。几帳面だった母はこまごまと諸事に渡って書きとめ後を引き継ぐだろう私が困らないようにと備忘録を残してくれた。もちろん端など捲れていようはずもない。どのページを開いても乱れた文字もなく、書き損じたところには紙を貼ってその上に書き記してある。この母の子が私で申し訳が無いようにいい加減な私がこのノートを引き継いだ。書き手が変わってノートの端は捲れ、記入漏れが続出。ついに備忘録の役目を果たさなくなった。今年は母の七回忌、仕様がない娘だと渋い顔をしているかもしれない。



 このページのTOPへ