今までの俳句
令和4年度

季節によせて Vol.584   令和5年3月25日 
奥行きといふは空にも揚げ雲雀     晶 
 肉眼では眩しくてわからないが、雲雀は実際どのくらいの高さまで上がるのだろうと常々思っていた。ものの本によると100メートルぐらいと書いてあるのもあったが、定かではない。ホバリングして鳴いている。西洋では雲雀は朝を象徴する鳥で、子羊と共に寝て、雲雀と共に起きるということわざがイギリスにある。因みに夜の代表格の鳥はナイチンゲールということだ。

季節によせて Vol.583   令和5年3月18日 
山の香に鼻うごめかせ厩出し     晶 
 「厩出し」「うまやだし」と読む。「まやだし」とも言い、春になって、牛や馬を厩舎から野に放つことである。豪雪地帯の交通や運搬を牛馬に頼っていた暮しに根ざした季語。雪解けを待って存分に運動させたり日光浴をさせ獅子や蹄を鍛えるのだそうだ。現在は北海道の競争姥の産地や肉牛飼育農家に残るぐらいで一般には減少したと言われるが、放牧された牛や馬がのんびり草を食んでいる姿は見る者をリラックスさせてくれる。

季節によせて Vol.582   令和5年3月11日 
ととのへて子の手に渡す草の餅     晶 
 大家族の減少が言われて久しいが、コロナ感染症でますます閉塞的な家族関係になり、次世代に文化や伝統の継承がより難しくなっていると言われる。そんな大仰なことでなくても、デパ地下やスーパーに行けばいつでも美味しいものが買えるし、お取り寄せをすれば自宅で作らなくても簡単に味わえるという時代。草餅だって有名菓子舗のひとつ何百円もするようなものが飛ぶように売れると聞く。おばあちゃんの横でお手伝いをしながら作った歪だけど美味しかった草餅の味が懐かしい。

季節によせて Vol.581   令和5年3月4日 
きさらぎや木目合わせて鉢と蓋     晶 
 如月は旧暦2月のこと。新暦で言えば3月に当るとは言うものの、衣を更に重ね着るくらいの寒さで、空気は冷たく張りつめた感覚があるというのがこの季語の本意。手が悴んで鉢と蓋の木目がずれてしまう。お客様にはこういう細かいところが目につくのだからと、その都度、蓋の木目を正された思い出が。寒いのだけど眩しいほどの光に春の訪れを感じるそんな「きさらぎ」の季節感が好きだ。

季節によせて Vol.580   令和5年2月25日 
深爪の指に残る寒さかな     晶 
 遺伝と言うのはどういう仕組みになっているのか。生物の時間にたしか、えんどう豆で優性遺伝とか、劣性遺伝とか習った気はするが、私などはけっこう、劣性遺伝が目につく。たとえば手足の形やそれに伴う爪の形は父親似。細かく見ると際限ないが、受け入れるしか仕方がないと観念するまでには時間がかかった。そういう目に見える造作部分は自他ともにわかりやすいが、性格や仕草は年を重ねるほどに自分より周りの人に言われて気付いたりする。先日、妹と姪で食事をした時、声をそろえて「今の声、おばあちゃんそっくり!」「おばあちゃん降臨!」なんと、降臨の域に達してていようとは。

季節によせて Vol.579   令和5年2月18日 
春氷かざせば光したたりぬ     晶 
 庭で目高を飼っている。冬の間は厚くて指で押したくらいではびくりともしなかった氷も、このところはすんなりと剥せるようになった。うまく剥せると年甲斐もなくやったー!とお日様にかざしてみたくなる。太陽が透けて滲んで見えるのも楽しい。持っている指の辺りが薄くなって取り落とすこともしばしば。目高は底にじっと身を潜めているのか全く姿が見えないがもう十日もしないうちに生き残った何匹かに会えるだろう。

季節によせて Vol.578   令和5年2月11日 
枝枝の影の散らかる梅林     晶 
 ほんのりと香りがすると思ったら、寒さの中、数輪の梅が咲いている。香りと共に春を届けてくれる梅は桜と違って満開でも枝を覆いつくすような咲き方はしない。小ぶりな花が咲き終わって葉が芽吹くまで梅の木はまた寒々とした樹に戻る。近くの天神さんにも梅園があり早咲きの梅はすでに見頃を過ぎているが受験同様、梅園の見頃はこれから。しばらく香りを楽しめそうだ。

季節によせて Vol.577   令和5年1月28日 
笹鳴きや藪の日だまり浅からず     晶 
 鴬の地鳴き及び、その声を笹鳴という。「チャッチャッ、チチ、チチ」と舌打ちに似た声で鳴く。すぐ目の前の藪から聞こえるので目を凝らせば姿が見えそうな気がするのだが、絶対姿を見せない。籔と同じような羽根のいろだそうなので紛れてしまっていつも声しか聞けない。年が明け日脚が少しづつ伸びて藪の奥まで日が差すようになった。声だけでなく姿も見せてほしいものだ。

季節によせて Vol.576   令和5年1月21日 
胸板の厚きを借りて寒稽古     晶 
 一年で最も寒い時期に普段より厳しい訓練をすることを寒稽古という。剣道、柔道、弓道などのほか、謡曲や楽器など技芸の上達を目指して取り組む稽古も含まれる。初めは寒さに震えて小さな声しか出せなかったような子供たちが先輩たちの胸を借りてどんどん逞しくなっていく。体力、技術だけでなく精神的にも強くなれるのが寒稽古の魅力だと思う。

季節によせて Vol.575   令和5年1月14日 
札留や一月場所の初日より     晶 
 スポーツは観戦するほうが好きだったので、相撲好きの父の傍で子供のころから相撲中継は楽しみな時間だった。大相撲の本場所は159月が東京、3月が大阪、7月が名古屋、一年納の場所11月は福岡で行われる。一月場所が初場所と呼ばれ、正月らしい華やかさのなか、国技館で開催される。昨年は7場所の優勝がみんな異なるという年だった。横綱照ノ富士や大関陣が万全の体調で出場し、期待の若手力士が場所を盛り上げてくれることを楽しみにしている。

季節によせて Vol.574   令和5年1月7日 
突く音に声のはづみて手鞠唄     晶 
 耳で聞き覚えた歌は今から考えると意味不明なことも多い。「いちもんめのいすけさん、いのじがきらいで、いちまんいっせんいっぴゃくこく、いといといとやの~」と歌いながら毬を突いていたことは覚えている。歌の続きや意味は忘れてしまったが、不器用だから閊えながら突いていたのだろう。ピンク色で何か絵が描いてあったゴムまりが微かに記憶に残る。空気が抜けて弾まなくなった手毬、いつしか歌も忘れてしまった。


季節によせて Vol.573   令和4年12月31日 
男手の欲しき家移り枇杷の花     晶 
 枇杷はバラ科の常緑高木で、11月から12月に枝先に白い花を多数つける。実家の下の畑の持ち主が地境のところに植えていたので花が咲くといい匂いがして、蜂や虻がきていた。寒い冬を越さないと実にならないので茶色の絨毛が花をつつむ。半年かけて実になるんだから不思議な果物だ。くだんの枇杷もたくさん実をつけるのだが、肥料不足なのか実は小さい。もっぱら鴉の餌になり、実家のベランダは鴉が食べた枇杷の種で散らかるはめに。

季節によせて Vol.572   令和4年12月24日 
饒舌の常盤木寡黙なる枯木     晶 
 公園の桜、欅、ポプラは葉を落としすっかり枯木になってしまったが、椋は青々とした枝を伸ばしている。公園ができた時に植えられたのか、住宅開発の時切られずに残った山の木なのかわからないがけっこうな幹回りだ。これが風を受けるとけっこうざわざわと騒がしく風に鳴る。川向こうの公園には山口誓子の立派な句碑があり、その近くにこの地の沿革を記す碑が立つ。

季節によせて Vol.571   令和4年12月17日 
日の匂失せて嵩減る落葉籠     晶 
 近所の公園の桜や欅の紅葉もいつのまにか散ってなんだか明るく感じる。

桜の落葉は桜餅のようなにおいがして紅葉の匂いの中では一番いい匂いがするのではないかしら。他の木に先駆けて紅葉し他の木が紅葉する頃にはほぼ散ってしまう。木々が順番に色づきそして葉を落とし、季節がまた一歩進む。


季節によせて Vol.570   令和4年12月10日 
蟷螂の腹やはらかく枯ゆける     晶 
 冬の季語に枯蟷螂というのがあるが、実際みどりの蟷螂が冬になると枯色に変色するということはないそうだ。生まれた時から褐色のコカマキリ(体長5センチほど)というのがいるらしいが、山口誓子の「蟷螂の目の中までも枯れ尽す」という句に触発され「枯蟷螂」で句を作ってみたいと思っての句。確かに死期が近づくと体色がくすんで枯色に近くなったり染みが現れるが葉のように枯れてしまうことはない。

季節によせて Vol.569   令和4年12月3日 
煙突の煙が迎へ冬館     晶 
 有難くない話だが、夏が暑かった年の冬は寒いそうだ。重ね着したり隙間風をなくしたり工夫はするが、やはり暖房は欠かせない。空気のためには熱源は電気が良いのかもしれないが、炎の暖かさは格別である。囲炉裏の薪や炭の炎は温かいだけでなく見ていると気持ちが落ち着く。暖かそうな家からはパンを焼く匂いも。客人を迎える支度がゆったりと始まったようだ。

季節によせて Vol.568   令和4年11月26日 
だんだんと深みにはまり蓮根掘り     晶 
 最近の蓮根は水圧で根を掘り起こしついでに泥を洗い流すのだそうだ。泥田に脚を取られながらの作業も大変だが長合羽を着て冷たい水につかっての作業も芯から冷えてきつい仕事。掘り進んでだんだん畑の中ほどに行くともう抜き差しならず進むしかない。畑の中に板を渡して這い上がれるようにしてあるところもあったが川風の吹き晒す中での作業は見ているだけでも邪魔をしている気持ちになった。

季節によせて Vol.567   令和4年11月19日 
絨毯の二人がかりといふ重さ     晶 
 ホームセンターなどへ行けば軽くて暖かいカーペットが売られているが、何となく処分してしまうのが惜しくて段通の絨毯を実家から持ってきた。部屋にうまく収まるか少し心配だったが、誂えたように収まった。いくつかあった染みはクリーニングでかなり薄れて電気カーペットを敷かなくても十分暖かい。目が詰んでいる分思いが確かに温かい。

季節によせて Vol.566   令和4年11月12日 
しろがねのクリップ光る今朝の冬     晶 
 二十四節季の一つで、117日ごろにあたる立冬、冬立つ、冬に入る、冬来る、冬来、今朝の冬これらも立冬の傍題。暦の上ではこの日から冬だが実際はまだ昼間など汗ばむ日もあるくらい。これも温暖化の影響なのだろう。今年は外壁の塗装やリフォームでなんとなく気ぜわしい立冬だ。ステンレスのクリップの光に冬の訪れを感じたという句。

季節によせて Vol.565   令和4年11月5日 
引き寄せて初心にかへる秋ともし     晶 
 年中あるものでも、季節によって感じ方が大きく違う。春の灯は暖かで艶やかな印象なのに対して秋の灯は澄んだ空気のためか読書をしたり学問をするのにふさわしい灯である。「灯火親しむ・灯火の秋」とも秋に相応しい言葉として長く親しまれてきた言葉で季語。秋の夜長に灯火を引き寄せて読まねばならないものは多い。

季節によせて Vol.564   令和4年10月29日 
雨がちの川の濁りや下り簗     晶 
 下り簗は産卵を終えて皮を下る魚を採る仕掛けのこと。流れを狭めて魚を導きの捕獲するのだが、それぞれの土地で採れる魚は異なる。知り合いによると、雨が暫く続き川の水が濁って水温が下がると鮎がかかり始めるそうだ。鮎に交じって鰻がかかることもあるそうだが、少し錆色になった魚体の鮎は美しい。かつては、簗の番をしながら移動式のお竈(くど)と釜で豚汁を作って楽しんだそうだ。

季節によせて Vol.563   令和4年10月22日 
山の日の歩みを刻みばつたんこ     晶 
 「ばったんこ」が季語。山田を荒らす鳥獣を追い払うために水の力で音を出す仕掛けのこと。片方に水を引き、水がたまると重みで傾いて水が流れ出す。竹は軽くなって跳ね返り、一端が下に置いた石や金属を強く打って音を出す。添水(そうず)、兎鼓(うさぎつづみ)、添水唐臼(そうずからうす)、などともいう。また、鉦を打つ僧に見立てて僧都(そうず)ともいったり、その音からばったんこというようになった。この原理を使って米搗きなどにも応用する。

季節によせて Vol.562   令和4年10月15日 
丈詰めて家居のための秋袷     晶 
 お茶をやめてから着物を着る機会は減ったが、風を入れるために普段着 の紬や大島に袖を通すことがある。私の袖は15寸であるが、母のはほとんどが13寸。身長の差はあるが、袖丈の長さは年を取るほどに短くという暗黙の決まりがあったのかもしれない。たかだか2寸の差ではあるが、家事をする上では勝手が良い。しかし、ジーパンにTシャツに慣れた身にはやはり普段着にするには窮屈だ。

季節によせて Vol.561   令和4年10月8日 
青蜜柑爪を立つれば生唾が     晶 
 食べ物は記憶を呼び覚ますというが、青蜜柑と聞くだけで運動会の弁当の時間を思い出し、口中に生唾が広がる。初秋から仲秋にかけて店頭に出る表皮の薄くて青い蜜柑のこと。まだ熟れてないので味も薄く甘くはないが、季節に先駆けて店頭に並ぶので秋の到来を実感させる味覚だった。今ではハウス栽培も盛んになり、青くても結構甘い蜜柑が出回るようになった。

季節によせて Vol.560   令和4年10月1日 
鶏頭のまこと背骨のやうな茎     晶 
 鶏頭の原産地は熱帯アジア、大昔、中国を経て渡ってきた渡来系植物。と聞けばあの何とも言えない花の形も納得いくだろう。少々の風では倒れそうにない茎と、鶏冠のような形の花はやはりどことなくエキゾチックでもある。ゆえにか、鶏頭を人のように詠んでいる句も多い。人の如く鶏頭立てり二三本(前田普蘿)鶏頭の立つ体温のあるやうに(奥坂まや)

季節によせて Vol.559   令和4年9月24日 
煤けゐるもの桐の実と長持と     晶 
 長持は衣料や調度などを入れて保管したり運搬したりするもので、長方形で蓋のある大型の箱。以前は嫁入り道具を入れたとかで、蔵や物置に煤けた状態でとり置かれているものもあるようだ。以前、公開している廻船問屋を訪れた際、雨で煤けたような桐の実と今は無用の長物と展示されていた長持が目に留まった。

季節によせて Vol.558   令和4年9月17日 
川沿ひの店の灯りて酔芙蓉     晶 
  生家の隣の家には芙蓉が何本かあった。私の家に面した方にはピンク色の花が、通りに面した西側は白ともう一つ酔芙蓉があったと記憶している。酔芙蓉は、朝の咲き始めは白だが、咲き終るころにはピンク色に代わっている。50年ほど前は周囲に高い建物もなく午後の強い日差しがまっすぐ伸びてきて、西日の色で染まるようだと子供心にも不思議に思っていた。

季節によせて Vol.557   令和4年9月10日 
潮入の河口に群れて秋燕     晶 
  九月も半ばになると街の中で燕を見る機会がぐんと減る。何羽かずつ葭原や笹藪に集まってきて帰る日を待つのである。春に渡ってきてすぐにお相手が見つからず子育てが遅れた燕だろうか、仲間がいなくなった空を飛ぶ練習をしているのを見かけるとつい応援したくなる。海山を越えての旅なので羽の使い方、風の捉え方をマスターしておかないと命取りになりかねない。

季節によせて Vol.556   令和4年9月3日 
草丈の高きを活けて風の盆     晶 
  風の盆は、富山県八尾町で毎年九月一日から三日間行われる盆の行事である。もとは、それ意を祭る行事であったが、のちに風害を防ぎ豊作を祈願する風祭と合わさったものと考えられている。当日は三味線、胡弓、尺八、太鼓などの音と越中おわら節に合わせて町中の人が夜を徹して踊る。元来は素朴な行事だったが現在は宿が取れないほどの人出。

季節によせて Vol.555   令和4年8月27日 
イーゼルを立つればふえて赤とんぼ     晶 
  童謡の「赤とんぼ」の歌詞「オワレテミタ」をずっと「追われてみた」と思っていたが、「負われて見た」背中におんぶされて赤蜻蛉を見たのはいつの日だったろうかという内容だ。童謡の歌詞は思えば子供には難しい。しかし、今は高齢者の施設で盛んに歌われているのは回想法と言って認知症の予防になるらしい。子供の頃、間違って覚えていた歌詞に気付くこともあるかもしれない。

季節によせて Vol.554   令和4年8月20日 
山の端に旗雲かかる終戦日     晶 
  8月は鎮魂の月。ご先祖様をお迎えしてのお盆の行事も簡略化されたとはいえ、それぞれの家庭のやり方で受け継がれている。ウイルスの感染拡大を防ぐために帰省を控えたり行事を中止したりしているうちに繋がりがどんどん希薄になっていくような気がする。年長者を囲んで戦争の話を聞くのも夏の大事な過ごし方。

季節によせて Vol.553   令和4年8月13日 
海峡の潮の渦まく阿波踊り     晶 
  淡路島と徳島に架かる大鳴門橋は帰省ルート。何度通ってもこの橋から見える渦潮は迫力がある。開通した当初は高速道路にもかかわらず、車を橋の路肩に停めて渦潮を見る人が絶えなくて道路公団や警察が「停めないでください、違反です」と巡回していた。今年もこの橋を渡って阿波踊りを楽しみにしている人がたくさんいることだろう。コロナウイルスが早く収まって心置きなく帰省できる日が待たれる。

季節によせて Vol.552   令和4年8月6日 
夏惜しむ競ひあひたる帆をたたみ     晶 
  波打ち際近くでしばらく帆の起こし方などを習っていたと思ったらいつのまにか突堤の方へ。まだ堤防の内側だから波は穏やかだけど初心者軍団の帆の扱いに見ている方がはらはら。堤防の外に出て風を自裁に操るまでには塩辛い海の水を何度か飲むことになるんだろうななどと思いながらも羨望のまなざしで見ていた。

季節によせて Vol.551   令和4年7月30日 
外海の波の荒さよ浜万年青     晶 
  浜万年青(はまおもと)は浜木綿の花のこと。ヒガンバナ科の大形常緑多年草で関東以南の海岸に自生する。盛夏の頃、高さ50100センチの花茎を立てて10数個の白い花を傘上に咲かせる。浜辺でいい匂いがするので何だろうと見渡すと浜木綿だったということもある。浜木綿の咲くころはマリンスポーツのまっさかり、ヨットやウインドサーフィンを楽しむ若者が朝から海へ出て行く。

季節によせて Vol.550   令和4年7月23日 
向日葵のみなこちらむく一区画     晶 
  太い茎、大きな花、そして咲き終わった後のぎっしり詰まった種をみても向日葵は生命力旺盛な花だと思う。太陽に向かって回ると言われるが、これは蕾の時の性質らしい。このこと一つとっても植物というより動物的な感じさえする。園芸種で小ぶりな品種や一茎にたくさん花をつける品種も改良されてきたようだが向日葵はやはり大きく力強く咲いてほしい。

季節によせて Vol.549   令和4年7月16日 
下闇の地にをさまらぬ根の走り     晶 
  この季節の草取りは小さな影でもありがたいが、越してきた時に植えたアメリカ花水木や辛夷がいい木陰をを提供してくれる。毎年、剪定して枝を存分に広げさせてやれないのはかわいそうだが、根の方は地中のこととてどこまで伸びているのか見当もつかない。芝生をもたげたり花壇や地面に出ている根もなかなかな太さだ。共にこの地に根を下ろして花を咲かせている気が同志のように思えた。

季節によせて Vol.548   令和4年7月9日 
帆柱のごとき花茎や竜舌蘭     晶 
  メキシコ原産の大型常緑多年草の竜舌蘭(リュウゼツラン)。長さが22メートルの葉は多肉質で堅く鋭い棘がある。暖かい所では戸外でも越冬するので公園や庭園でもよく見かける。10年~40年で48メートルの巨大な花茎を伸ばし多数の花をつけ花が終われば枯死するそうだ。メキシコではその葉の繊維で綱などにしたり、汁からはテキーラを作るそうだ。園芸店で見かけるユッカやドラセナもリュウゼツラン科。

季節によせて Vol.547   令和4年7月2日 
水積みに立ち寄る港梯梧咲く     晶 
  初めて梯梧の花を見たのは長江さん一家が世界一周したヨット、エリカ号が展示されていたヨットハーバー。立ち寄った港は世界25か国、100数港にも及び、約6万キロ、49ヵ月にわたる大航海をしたヨットだ。マメ科の真っ赤な花越しに海が見えて日本とは思えない印象だった。平成23年に老朽化や維持が難しいということで撤去されたそうだが、記念として始まったエリカカップヨットレースは続いている。

季節によせて Vol.546   令和4年6月25日 
糸とんぼ水辺の草の揺れやすく     晶 
  糸とんぼは普通の蜻蛉より小型で、四枚の翅をひらひらさせながら飛び、止まるときは翅を背の上でぴったり合わせる。飛び方、止まり方も大型のとんぼとは違うので草に止まって一緒に吹かれていたりするとますます繊細な生き物に思える。とうすみ(とうしみ)とんぼとも言われるのは体が灯心のように細いから。

季節によせて Vol.545   令和4年6月18日 
触角を振つて舟虫まだ逃げず     晶 
  海辺の岩や岸壁に群れを成している甲殻類。ごきぶりのように人の気配に敏感で逃げ足も速いので、人に害を及ぼすことがないと言われてもあまり気持ちの良い虫ではない。つねに触角を振って警戒をしているようで、波や物音、人や動物の気配に一斉に群れが動き出す。鴨のように見張り役がいるのだろうかとか、触角を振って安全圏の間合を計っているのだろうかなどと思ったりする。

季節によせて Vol.544   令和4年6月11日 
爪先に探る足もと蛍狩     晶 
  数は減ったというが、ありがたいことに近くのお寺の駐車場の竹藪やそのあたりを流れる小川でまだ蛍を見ることができる。小川の水は散歩コースにもなっている標高250メートルあるかないかの山から流れ出している。山から染み出した水は沢を伝ってお寺の辺りでは巾1メートルほどだろうか。軽トラ一台が通れるほどの道があるだけで周りは少しの田畑があるだけ。夜はまさにお寺の駐車場のボーッと灯る外灯がたよりだ。

季節によせて Vol.543   令和4年6月4日 
枷を解くごとくに竹の皮を脱ぐ     晶 
 五月の連休を過ぎるころから竹の子がぐんぐん成長して一気に見上げる高さになる。筍は成長するとき根元の方から順に皮が剥がれていくが、これを竹の子が自らの意思で脱いでいるようだとして「竹の皮脱ぐ」という季語がある。孟宗竹などの皮は大きいため、剥がれ落ちた時に音がする。バサッという音に驚いて振り返ることも。皮を脱ぎながらのびのびと伸び続けしなやかにそよぐ若竹になる。

季節によせて Vol.542   令和4年5月28日 
撮る人を跪かせて白牡丹     晶 
 牡丹は奈良時代に中国から渡来したと言われるが、原産国はもう少し西方のブータンらしい。隋の頃中国に入ってきた牡丹は中国では花王・花神と呼ばれ唐の時代に最ももてはやされたと聞く。中国の詩人、蘇東坡は牡丹の鑑賞について「牡丹を見るのは巳の刻(午前10時)宜し。巳より後は開きすぎて花の精神衰えて力なく麗しからず。午の時(正午)より後に見るはボタンを知らざる俗客なり」という。花の美しく見える時間を逸してはならないということか。日本で牡丹の鑑賞が盛んになるのは元禄時代。

季節によせて Vol.541   令和4年5月21日 
薔薇の香を強めて雨の近き風     晶 
 薔薇を育てる人にとっては雨や風は甚だ迷惑なものらしい。雨が続けば灰色黴病や黒点病を心配し、風が強ければ花が傷まないかステムが折れないかと気になるらしい。天候だけでなく、薔薇の天敵カミキリムシやチュウレンジ蜂、薔薇ゾウムシにも最大級の警戒を怠らずいつも庭に出て薔薇を見守っている。そんな心優しき友人の育てる薔薇の香りを朝な夕なふらりと立ち寄っては楽しませていただいている。

季節によせて Vol.540   令和4年5月14日 
葉桜やおのが歩幅を取り戻し     晶 
 コロナ感染症への警戒が薄れてきたのかマスクこそしているが、街に賑わいが戻ってきた感じがする。二年続けて中止になっていた桜祭のイベントなども復活させた市町村も多かったようだ。子供たちの一年はあっという間だ。自粛期間中に失われたのは時間だけではない。友達との交流の場、体験の場など心の発達の場の損失も大であろう。この失った大切なものをどう補うかもこれからの課題であろうと思う。

季節によせて Vol.539   令和4年5月7日 
流れみな海をめざせる端午かな     晶 
 源流の山を出たあまたの支流、派流は枝葉のように合流を繰り返し一本の川となって海へ入る。その川の数は一級河川14062,二級河川70802016430日現在)というから驚きだ。水流域の広さでは坂東太郎の名を持つ利根川が16840㎢で最も広域で7県を潤し、長さでは長野、群馬、新潟を流れ総延長367㎞の信濃川に軍配があがる。すべての川を受け入れる海の懐の深さを思うとき、命の源は海であったことを思い出す。

季節によせて Vol.538   令和4年4月30日 
渡船来るまでのひととき磯遊び     晶 
 母方の祖母は、さほど広くない川の河口近くの町に住んでいた。そのため、満ち潮の時には戸口まで潮の匂いがしたし、引潮の時は干上がった河口へ下りることもできた。そんな川の川原を歩いて海に出て、日の沈むまで潮だまりの魚を追いかけたり貝を掘ったりして遊んだ記憶がある。私の海の原風景と言えるところだが、今は流路を変えられた川が海とつながるだけで、子供が下りて遊べるような場所は見当たらない。

季節によせて Vol.537   令和4年4月23日 
上るほど霞こくなる観覧車     晶 
 「さくら」の歌といえば今では唱歌より、森山直太朗やいきものがかりの歌を思い起こす人が多いかもしれないが私は唱歌派。唱歌「さくらさくら」には、「霞か雲か」というフレーズがあって、私は単純に野山も里も霞か雲がかかっているというのだろうと思っていたのですが、花ざかりの桜が霞か雲のように見えるという意味でしょうという人も。小学校でどう教わったかしら。 「さくらさくら野山も里も見渡す限り霞か雲か朝日に匂うさくらさくら花ざかり」「さくらさくら弥生の空は見渡す限り霞か雲か匂ぞ出るいざやいざや見にゆかん」

季節によせて Vol.536   令和4年4月16日 
海峡に段差生まるる春の潮     晶 
 春は潮の干満差が激しい季節。渦潮で有名な鳴門海峡では一メートルほどの高低差が生まれるという。以前、観潮船に乗った時は船が大きかったので引きずりこまれるような感覚はなかったが、小舟だと渦を遠巻きにして通るほどだということだった。海に囲まれた海洋国、風力、太陽光に続き、こういう潮や波の力もエネルギーとして十分活用できそうだが、若い科学者の健闘を祈りたい。

季節によせて Vol.535   令和4年4月9日 
門灯をつつむごとくに春の闇     晶 
 防犯のため門灯をつけておきましょうという回覧が回る。高齢者が多くなった住宅地なので夜は早々と雨戸が締まり明かりが少しばかり漏れている程度なので街灯だけではやはり心もとない。我が家でも自動点灯の門灯と人感センサー付きの外灯を付けたが感度が良すぎて木の枝が揺れただけでも点灯する。人通りの絶えた通りに家々の門灯が柔らかく灯っている。

季節によせて Vol.534   令和4年4月2日 
夕永し上置きの菜を摘みに出て     晶 
 今年は久しぶりに寒い冬だった。この町の北海道と言われるほど、街の中より気温の低い場所なので三月半ばでも目高を飼っている鉢にうっすら氷が張ることも珍しくない。しかし、どんなに寒くても太陽はきちんと暦通りに動いていて、隣家の屋根を抜け出して我が家の庭にも朝から日がさすようになった。西向きの小さな野菜畑には緑地帯越しの家並の間に日が沈むまでたっぷり日が当たっている。当地での暮らしも40 年になった。





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