11月の初旬はまだ秋の気配が濃厚で立冬が近いと言われてもピンとこない。年々秋が短くなると感じるのは私だけだろうか、温暖化の影響なのかもしれないと思いつつ、花壇の手入れをする。花時が済んだ花を抜かねばと思うのだが小さな花を咲かせているともう少しそのままに、と思ってしまう。
青々と成長した竹がしなやかに波打つようにうねる姿は美しい。秋の到来を告げる初嵐は草木の衰退を促す風でもある。
それはMさんがお揃いだよと買ってくれたものだったので私は毎年使って要も緩み、買い替え時と思っていた。買ってすぐ不明になっていた彼女の扇はもちろん新品同様、今年はこの買ってもらった扇使うわと電話の声が弾む。いや、買ってくれたのはMさん、あなただったんだよ。友達はありがたい。
鵜飼はこの句に尽きると言ってもいいように思います。初めは鵜の働きぶりを面白いと見ていても次第に哀れをおぼえてくる。料亭では鵜飼で捕れた証として鵜の嘴傷がある鮎が喜ばれると聞く。鵜が懸命に泳いで捕まえた鮎を人間が頂くわけだ。8世紀に書かれた万葉集や日本書紀にも鵜飼の記述があるぐらい鵜飼の歴史は古い。
傍題に「さつき雨」「さみだる」「五月雨雲(さみだれぐも)」「五月雨をあつめて早し最上川」松尾芭蕉の有名な句。
開封と同時にぎゅっと押し込められていた茶葉が空気に触れて香りを取り戻す。お茶好きの私にはたまらない瞬間。歴史の授業で湯茶や物見遊山が好きな女は~という慶安の御触書を習った時、江戸時代に生まれなくてよかった!と心底思った。母方の伯父も祖母もお茶が大好きだったが、祖母は何がきっかけだったのかある時から一切大好きなお茶を断ったと母に聞いた。明治の女性は意志が強い。
新緑が美しい時期に竹林が黄色くなり竹の葉がひらひら散る景色も捨てがたい。ちなみに竹の子が成長して若竹となり竹林が青々とそよぐ秋には「竹の春」という季語が。竹林には「春筍」「竹の子」「竹の秋」「竹落葉」「竹の皮脱ぐ」「若竹・今年竹」「竹の春」など一年を通して季語がある。
ヒドリガモの場合、甲高い声で鳴いているのが雄、ガーガーと濁った声で鳴くのは雌と聞いた。雌は地味な色に加えて鳴き声も悪いようだ。