鹿の角は毎年、春に付け根から落ちて晩春から初夏にかけて生え変わる。生え変わった角は初めビロードのような柔らかな毛の生えた皮をかぶっており、毛細血管が透けて見える。これを袋角という。再生するたび、つまり年を重ねるたびに枝分かれした立派な角となって生え変わるのである。
・袋角熱あるごとくあはれなり(中田みづほ)
・袋角鬱々と枝を岐ちをり(橋本多佳子)
・木洩れ日の影のからまる袋角(西宮舞)
天然に水が湧き出しているのが泉。年中見ることができるが湧き出る際のかすかな水音や透明な水の美しさゆえに夏の季語となったものと思う。今のようにどこでも水が手に入る時代であっても泉に出会ったときの喜びはひときわ。歩くしか術のなかった時代なら生き返る心地がしたであろう。
・掬ぶよりはや歯にひびく泉かな(芭蕉)
・草濡れてはたして泉湧くところ(井沢正江)
・音ひとつ立ててをりたる泉かな(石田郷子)
春先から雨の日が増え、一雨ごとに夏が近づいて来ると感じる。それは雨の降り方についても言えることで、音立てて俄かに大粒の雨が降り出すことも珍しくない。災害が出ないようほどほどの降り方でとどまってくれることを願うばかりである。
・夕風に土の匂ひや夏来る(吉田茂子)
・路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ(菖蒲あや)
今年の立夏は5月5日、子供の日にあたる。4月半ばからすでに初夏の陽気のところもあり気象庁は夏の暑さを表す言葉に40度越えの日を酷暑と呼ぶことにしたという。やりきれない真夏のことはさておき、清々しい季節を存分に楽しみたいと思う。
・竹筒に山の花挿す立夏かな (神尾久美子)
・夏に入る硝子のペンで書く手紙 (山田佳乃)
春は鳥たちも繁殖期に中り、雄は美しい声で鳴いて雌にアピールする.その鳴き声が囀。鶯のホーホケキョやカラの仲間のツツピーも囀り。色鳥(秋)のように目に見えるように姿を詠むことが本意の季語に対し春の鳥の場合はその声に春らしさを感じるので百千鳥などの季語も耳で捉える季語と言われる。
・百千鳥森の扉を全開に (山崎千枝子)
春、卵を持った雌の蛸を煮ると体内に飯粒が詰まっているように見えることからこの名がついたと物の本には書いてある。捕まらなかったらこれが全部蛸になるのにと思ったりもしたがやはり美味しい。蛸を煮ると紅色になるので蛸の桜煮とも言う。里芋などとの煮付けがこの季節は喜ばれる。
・なにか侘し飯蛸の飯とぼしきも (上村占魚)
・舟べりへ逃げし飯蛸引きはがす (星野恒彦)
寄居虫と書いてやどかりと読む。がうなとルビを振られていることもあるがどちらにしても当て字としか思えない。身体が成長すると他の大きな貝殻を求めて移り棲むのでこの名があるようだ。
・寄居虫の又顔出して歩きけり (阿部みどり女)
・やどかりのころりと落ちし汐溜 (藺草慶子)
開花が早かった分その終焉もあっけないものだった。コロナ感染症の真っただ中に入学した子たちはこの春小学校を卒業、中学の入学式は葉桜のもと。満開の桜の下でという光景はそのうち昔話になるかもしれない。
・空をゆく一かたまりの花吹雪 (高野素中)
・一本のすでにはげしき花吹雪 (片山由美子)
・しあはせに目のあけられず花吹雪 (鷹羽狩行)
目と鼻の先に里山がある、というより里山の麓に開けた住宅地に住まわせてもらっているといった方が良いかもしれない。熊にこそ会わないが猿や雉、鹿や猪は珍しくない。そんな場所なので鶯もチャッチャっという地鳴きやホーホケキョ、谷渡りと季節によって変わる鳴き声を聞かせてくれるが、畑を電気柵で囲っているのを見ると人と鳥、動物の間合いの取り方の難しさを実感する。
太陽の周りに白い暈がかぶっていることがある。春先に見られることが多い。白や虹色の輪のことを「ㇵロ」というそうで天気が下り坂のサインともいわれる。月にかかることもあって朧月などと呼ばれる。枝垂れ桜も遠目に見ると輪郭が薄れてひとまわり大きく見えることも。これも春の空気のせいかもしれない。